私の移住の流れ 〜『決意』から『沖縄での就職』まで〜
ここでは、私の経験を元に、移住を決意してから、退職や引越しを経て、沖縄で仕事を見つけるまでの流れをご紹介したいと思います。生の体験ですので、参考にしていただければ助かります。
その中で、「この選択は正解だった」というのもあれば、「ここはこんな方法を使えばもっとよかったな」というのもあります。最後に総括として、良かった点、悪かった点を反省しておりますので、今後移住を考えている方は是非ご覧下さい。
1.決意
まず、私が移住を決意した理由ですが、実は、「フラッ」となんです(笑)。
ハイ。これが移住のきっかけです。なぁんにも考えておりませんでした。
友達からは「え?マジで?行くの?」と聞かれました。元来、天邪鬼(アマノジャク)な私は、そういうと逆に「やってやろうじゃん」と燃えるタチなので、いよいよ決意を固めていったのでした。
…いいかげんだなぁ。
移住日の目標を、翌年(2005年)の4月の中旬まで、と決めました。2004年夏の出来事です。
2.退職
前述の通り、4月の移住を目指していました。で、どうせなら移住前に、会社員の時
にはできなかった長期旅行をしようと思っていましたので、思い切って年末に退職をしました。2ヶ月くらい前(ですから10月ごろ)に上司と話をして、認めてもらい、12月30日に、無事退職しました。一応円満退社だったと思っています。
※ですが、実は上司には「経理関係の学校に通うので」とか何とか言って説得しました。
後日談ですが、役所に「国民健康保険」の減免願いを出したときに、「全職の確認のため」
ということで、会社に電話がいってしまい、沖縄にいることがばれました…。
もっとも辞めて引っ越してしまえばこっちのものですがね。
その後で、会社から離職票と、雇用保険被保険者票が送られてきました。年末年始が絡んだので、1月10日くらいになってしまった気がします。私の場合は、年金手帳は会社に預けていなかったのですが、人によっては、この時に年金手帳も返されるはずです。
3.下見
正直言いまして、私は別にもともと沖縄に興味があったわけではありません。恥ずかしながら、首里城の存在すら知りませんでした(私が無知だっただけですが)。なので、初の沖縄旅行が移住の約半年前でした。
その時は、純粋に観光を楽しみました。首里城、美ら海水族館、国際通りなど、2泊3日で満喫しました。もっともその年は沖縄はすごい台風の当たり年で、海には全く入れませんでした。
それから、移住を真剣に考え始めた2月(移住目標は4月中旬)、今度は、住居探しと、職探しの下見に、やはり2泊3日、沖縄に来ました。
まず住まいの下見をしました。不動産屋を3件回りました(うち2件は「ビッグ開発」という、沖縄ではそこそこ大きい不動産屋さん。2つの営業所を回りました)。しかしそのうちの1件(ビッグ開発でないところ)では、「仕事が決まっていませんと、定期的な収入が見込まれませんのでお貸しすることはできません」と言うようなことを、ヤンワリといわれました。なるほどもっともかもしれません。が、移住を目指す人が一体何の仕事を決めてから来るというのでしょう。流れとしては引越し→職探し、ですよね。引っ越さないと面接もできないよ。まあ当然、その不動産屋さんのせいではありませんが。
2件目の不動産屋さん(ビッグ開発)では、お勧め物件と言ってすぐに新築の1Rを2箇所、勧めてくれました。大東建託の物件で、立派なものでした。場所は銘苅(新都心)と、安里の2箇所でした。
何せ、まだ那覇の地理など、全く分かりませんので、不動産屋さんに色々と聞きました。
新都心は今人気急上昇中の地区で、そばには24時間営業のスーパーもあるので一押し。安里は昔ながらの住宅街。家賃は銘苅が「共益費、駐車場込」で5万4千円。安里が同条件で5万2千円。間取りはほとんど同じ(ちょっと安里が広い)。これは迷いました。悩みどころを整理すると、
銘苅(新都心)の勝ちポイント
・人気スポット
・側が24時間スーパー等、色々と便利
・モノレール駅が近い
安里の勝ちポイント
・ちょっとだけ安い
・ちょっとだけ広い
・駐車場が屋根つき(これはでかい。台風、大雨でも大丈夫なのだ)
・ホールドアがついている(エアコンの冷気が逃げない)
という感じです。色々悩みました。実際、ほかの不動産屋を回って、もっともっと色々な物件を見れば、また色々候補もあったのでしょうが、はっきり言って面倒くさかった上に、東京で住んでいた家賃より安かったので(当たり前。ただ相対的には安くとも、沖縄の相場上絶対的には高いことを後に知る)、この二つに絞って考えることにしました。一応即答は避け、東京に帰って考えることにしました。ただ、「いずれも人気の物件なので、契約のこともありますので、早めにご連絡ください」と言われました。
4.バイト
前述の通り、旅行とかに行きたかったので、年末に仕事を辞めました(実は理由はそれだけではなく、失業保険の話も絡むのですが、それはまた後で)。
しかし、旅行に行くのもせいぜい2週間強。移住までのそれ以外の時間を遊んで過ごすだけというのは、金銭的にも時間的にももったいないです。引越し資金だってたくさんあるに越したことはないですし。移住後もいつ仕事が見つかるかは全く分かりません。
なので、短期でアルバイトをすることにしました。(短期+早くお金になる方がいい、ということで、「日払い可能な派遣会社」に登録することにしました。年末に会社を辞めて、年明けすぐに登録に行きました。すると、さっそく東京ドームで2週間のイベントのアルバイトがあるということでした。そこでしっかり働いて、そしてその後も3月いっぱいまで、つまり移住の半月前まで別の運送会社に専従で入って、働きました。イベントでも運送会社でも、周りのみんながとてもよくしてくれて、最後の東京ライフを満喫させてもらいました。
日給は大体平均すると1万円前後だったです。大体残業があったので、それくらいは稼げました。基本的に「何もしていない」というのが嫌いなワーカホリックですので、会社を辞めたのに、旅行とかで日本にいない以外は、ほとんど毎日働いていました。なので、会社を辞めてからの3ヶ月間くらいで、50万円くらいはバイトで稼いだと思います。もちろん、普通に東京にいる間の家賃光熱費、その他交際費でどんどん消えて行くのですが…。この間、ヨーロッパ2週間のほか、沖縄下見や13連チャンの送別会がありました。
でも、会社を辞めたからと言って、財政上赤字を出さないだけでも、大したものではないでしょうか(もちろん、ヨーロッパ旅行や沖縄下見は別予算)?
5.職業安定所(ハローワーク)〜東京で〜
本来なら退職後、#2で触れた、離職票と、雇用保険被保険者票を受け取ったら、失業保険給付金受け取りの申請のため、すぐにハローワークに行くべきなのですが、私の場合は前述のとおり年末年始が絡んで到着が遅れたことと、もう一つの要素が絡んだため、ハローワークに行ったのが結局1月20日でした(退職は前年の年末)。
さて、その「もう一つの要素」とは、自分の住所を管轄するハローワークへ行き「求職申込み(失業認定)」の手続きをした(受給資格を決定される)日から7日の『待機期間』です。どういうことかといいますと、離職票などを持ってハローワークに行くと、「あなたは確かに失業しましたね。では3ヵ月後から90日間失業保険を給付※1します。ただ、今日から7日間は、『待機期間』として、いかなる種類の職(バイトも含む)にも従事しないでくださいね」っていう制度があるんです。
※1:次の理由により離職した場合は待期期間の7日間に加えて3ヶ月の給付制限がありますので、
7日間+3ヶ月を経過してからが支給対象となります。
1.
正当な理由がなく本人の都合で退職したとき(自己都合)
2. 自分の責任による重大な理由により解雇されたとき(懲戒解雇)
ですから、私の場合は、1月20日に失業認定をしたので、
(7日間+3ヶ月)後の、4月末から、失業保険の給付期間に入ったことになります。
尚、何ヶ月後からの、または何日間の給付になるかは、退職理由や、前職の勤続年数で変わってきます(詳しくはこちら)。
私は、ちょうどヨーロッパに旅行に行こうと思っておりましたので、その待機期間を旅行中に消化するのが一番合理的かつ経済的に思えました。つまり“わざと”失業認定を遅らせることにより、その間はバイトができるようにしたのです。時間を矢印で書くとこうなります。
退職(年末)
→ 短期バイト(年始早々)
→ 失業認定(求職申込み)(1月20日)
→ 旅行。この間に『待機期間(7日間)』消化(1月22日〜)
もし、退職後すぐにハローワークに行って失業認定をしていたら、旅行日までの少ない期間を丸7日間、バイトもできずにダラダラと過ごすことになってしまい、時間的にも金銭的にももったいなかったと思ったのでした。
6.家の契約
何せ沖縄の物件を東京で契約するわけです。全て書類とメール、電話でのやり取りになります。
#3の下見のところで書きましたとおり、大東建託の二つの物件で悩んでおりました。そしてそれぞれのメリット・デメリットを比較考量した結果、
新都心の物件にすることにしました。
いずれにしても、物件が決まったので、至急大東建託と連絡を取り、契約に必要な書類のやり取りが始まりました。2〜3回のやり取りで完了した気がします。
何せ
仕事をしていないので、与信が取れるか心配だったのですが、そこは父に保証人になってもらい、大丈夫でした。
ただ、契約日(家賃が発生する日)を引っ越す当日の
4月14日からにしたかったのですが、何せ新築の物件で4月1日から入居可だったので、家主さんとしては「4月1日から入れる人に貸す」的なことを言っており、仕方なく
4月1日からの契約にしました。つまり、半月は
住んでいないのに、家賃を払っていたことになります。まあ、仕方ないですよね。
契約に必要だった金額は、ちょっと記憶が薄らいで、定かではないのですが、まず4月分の
家賃、
敷金2か月分(礼金は0)、
火災保険(いくらだったっけなぁ)というわけで、
計20万円くらいが初期費用だった気がします。
7.引越しの手配(その予算と手順)
引越しの手配は
3月の末くらいからとりかかりました。
まず、今の東京のアパートを引き払わなくてはなりません。
不動産屋さんと大家さんに電話して、引っ越す旨を伝えました。そして
引き払う日を4月4日としました。
実は、3月末日にしたかったのですが(沖縄での新住居の家賃が4月1日から発生してしまい、二重に払いたくなかったので)、ちょっと連絡が遅れたこともあり、4月4日になってしまいました。
そして次に、荷物の分類です。
私の荷物は次の3種類に分類されます。
1.家電等大物
2.服・食器・その他小物
3.車(軽自動車)
今回は、色々と考えた結果、次のような方法で持っていくことにしました。そして、結論から言いますと、この作戦はとても成功だったと思います。金額的にも本当に安く済みましたし、スケジュール的にもピッタリでした。ただ、後述しますが、自分でやらなければならない作業がかなりありましたので、時間と体力を節約したい方にはお勧めできません。
まず、#3の車はカーフェリーで川崎の港から沖縄まで運びました。インターネットで、調べた結果、一番安いところ(その時で¥42,000だった気がします)でお願いしました。ただ、これですと、自分で川崎の港まで持っていって(その後は電車で帰ってくる)、そして沖縄に着いたらば、自分で沖縄の港まで取りに行かなければなりませんでした。…どこでお願いしてもそうなのかな?
そしてただ車を運ぶのではもったいない、ということで、車に詰めるモノは詰めてしまおうことにしました。
具体的には…
・靴(7,8足入れました)
・収納ケース
・その他簡単な小物
引越しの日を4月14日と決めていたので、確か4月11日くらいに川崎の港まで持って行きました(沖縄着は18日ごろ)。そして予約していた名前を伝えて鍵を渡し、同行してくれた友達と川崎から都内に帰ったのでした。
そして、いよいよ#1の家電等大物と、#2の小物をどうやって運ぶかの作戦です。
最初はとりあえず大手引越し業者に問い合わせて、「一人暮らしで東京から沖縄まで」ということで簡単な見積もりをしてもらったのですが、非常に適当な金額が提出されるんです。それもかなり高い。30万〜70万なんてのもありました。そんなの出せるわけがありませんし、出すつもりも全くありません。
そこで、友達に聞いた情報を元に、次の方法をとることにしました。
まず、#2の家電等大物は、「単身パック」という決まった容積のケージのようなものに、詰め込めるだけ詰め込む定額料金性のもので運ぶ。
今回は日通でお願いしました。
ケージ(ボックスと呼ぶ)の大きさは、110cm×80cm×高さ150cmでした。確か東京から沖縄までで、4万円弱だったと思います。
これに、下記のものを詰め込みました。
・一人暮らし用の冷蔵庫
・一人暮らし用の洗濯機
・ベース(楽器)(ハードケース入りだからかなりでかい)
・ギター
・布団(お客さん用も含めて3セット)
・スーツ&コート(スーツは12着、コートは薄いのだけを選んで3着)
・扇風機
(つめやすいように分解した)
・テーブル
・その他隙間に入りそうな小物(アイロン台やその他薄いもの)
これら大物が運べて4万円は安い!!
積み込みは、予約をしておいてアパート引渡しの前日、3日の昼に行いました。こちらの準備も良かったこともあって(自画自賛)、30分くらいで終わりました。そして私の沖縄着の日程に合わせて14日着指定しました。
そしていよいよ#3の小物。
みなさんも容易に想像が着くと思いますが、これが引越しにおいては一番大変な作業なんです。前述の単身パックで運べるものなど、実は引越し作業のほんの氷山の一角、その他小物のほうがずっとボリュームがあります。
まず、どのように運んだかをご説明します。今回はゆうパックを使いました。小物は全部ダンボールに梱包して、全部郵便局に持っていって運びました!!これが一番手間と労力を使いました。それでも安く収める為には仕方がない!
しかしゆうパックは安い!他の同業他社が怒るはずです。
ゆうパックは、大きさは、長さ・幅・厚さの合計が1.7m以内で、重さ30キロ以内のものなら、東京〜沖縄間を、だいたい1500円から2500円で運んでくれるんです。異常な安さ!だいたい3辺の合計が1.7mで30キロ以内なんて、だいたい余裕でクリアできますからね。
父と弟を動員して、3人がかりで1日かけて梱包しました。薬局やスーパーに行って、ダンボールをもらってきて、ヤフオクで鍛えた父の梱包の技術を駆使して、切る貼る詰めるのオンパレード。
ゆうパックで運ぶことにしたものを、全部は無理ですが簡単に列挙します。要するに、#2の大物と#3の車以外は全部これに含まれます。
・服
・食器
・台所用品
・文房具
・本
・ベースアンプ
・CD
・CDコンポ(これもきれいに梱包して緩衝材を入れて詰めました)
・割と安いオーブンレンジ
みなさんも分かるかと思いますが、服だけで3,4個口になります。食器や台所用品でもそうです。ベースアンプやCDコンポ、電子レンジはそれだけで1個口ずつです。
CDや本は、箱いっぱいいっぱいまで詰められますので、すごい重さになります。事実、30キロギリギリのものも2,3個口ありました。
そんなこんなで3人で1日がかりの作業を続け、できあがったダンボールの山が18個口!!これでも、当然いらないものは全部処分しての荷物だったのに!やはり人が一人住むというのは、たいへんなことなんですね。
翌日、近くの郵便局にピストン輸送。軽自動車だったので(まだ自動車を港に持っていく前)、一回に3,4個ずつしか運べず、あらかじめ18個口と伝えておいた職員の方に応援されました。これもやはり沖縄に着く日、14日着指定にしました。
しかし、算出された金額を聞いてビックリ!!3万円強で済んだのです!!あの荷物の山が、たったの3万円で沖縄まで運べてしまうのですから。
というわけで、今回引越しにかかったお金は、
車:42,000円
単身パック:約4万円
ゆうパック:約3万円
その他経費(梱包材、粗大ゴミ処理代、諸経費):約2万円
何と東京〜沖縄の引越しが15万円弱でできてしまったのです!!
惜しむらくは、気に入っていた
ソファベッドを処分しなくてはならなかったことです。大手配送業者に問い合わせたのですが、大きかったので2万5千円くらいかかり、それだったらちょっとお金を出して新しいのを沖縄で買ったほうがいいという事になりました。
2006/2/24更新:
この「7.引越しの手配」をアップロード後、家を探してみましたら、引越しにかかった費用のレシートが一式、封筒に入れられておりました。
つきましては、そのリストを一覧にしましたので、ご参照ください(ここをクリック)。
8.東京との別れ〜そして沖縄へ〜
私が沖縄に行く旨を伝えた時の親族、友人の反応はそれぞれでした。
まず家族は、
「
へ〜、いいじゃない。」
…以上です。両親の性格から言って、反対されるとは思ってはいませんでしたが、まさかここまで
ドライとは。当然聞かれると思っていた「なんで?」「どうやって?」「あてはあるの?」等の質問は
一切ありませんでした。
続いて友人ですが、これは幾つかに分かれました。
グループ1:応援派
「おっ、いいね!沖縄かぁ、うらやましい。大丈夫、お前ならできる!遊びに行くよ。」
グループ2:疑問派
「え?沖縄?なんで?俺たちの中で
一番アロハが似合わない存在なのに。南国って感じじゃないのに。」
グループ3:慎重派
「へー、沖縄か、大丈夫?仕事ないとか聞くけど。」
ではありますが、みんな結局、一様に応援してくれました。東京を離れる前日、つまり13日にまで、何と
13連チャンで送迎会がありました。みんな本当にありがとう。やはり生まれ育った場所を離れるのは、そして共にすごした仲間と離れるのは寂しいものです。
出発当日、つまり4月14日は朝早い便をとっておきました。というのは、もうその日の午後から、沖縄の新居に荷物が次々と搬入されるからです。
ANA991便 羽田発6:40 の飛行機に乗るべく、その日は4時半に起きました。もう一人暮らししていたアパートはとっくに引き払っているので、最後の半月は実家暮らしだったので、最後の朝は一家総出で見送ってくれる…と思いきや、母親は寝ていました!弟が眠たそうに、私を最寄り駅まで送ってくれました。
そしてリムジンバスで羽田まで行き、ついに私は沖縄へ!移住の一日が始まったのです!
余談ではありますが、未だに覚えているのですが、その道中、ずっと聞いていたのが、「ゆず」の『嗚呼、青春の日々よ』でし
た。
9.引越し(搬入)
飛行機は
4月14日の
午前9時半に那覇空港に着きました。
丈夫なスーツケース
を一つピックアップして、その足で
ゆいレール(モノレール)に乗り、新都心の
大東建託の事務所に向かいました。契約書と鍵を預かる為です。
※前項「契約」の欄に書き忘れたのですが、物件を選ぶ際の
最初の窓口は、
書いたように『
ビッグ開発』なのですが、その物件が大東建託のものだったので、
最初の受付以降の、
直接の契約書類のやり取りは大東建託に回されました。
このスーツケースには、業者に託さなかった最終荷物、
数着の着替えと
銀行の通帳や印鑑等貴重品、そして
PCという貴重品が入っておりましたので、それなりに重かったです。
モノレールに乗って、
那覇空港駅〜おもろまち駅まで乗りました。観光で来るのとは違って、「これからここに住むんだ」という気持ちで眺める
街の風景をとても愛しく感じたのを覚えています。
おもろまち駅で降りて、大東建託まで向かうのですが、事前に地図で調べた上で、大東建託のスタッフの方に「歩いていけますか?」と聞いたところ、「…大丈夫だと思いますよ。」と返ってきたので、プリントアウトした地図を頼りにテクテクと歩きました。すると意外と遠く、
4月だったのに汗をびっしょりかいて事務所に着きました。
そこで
鍵の授受と
契約書の交換、簡単な説明を受けて、(今度は)タクシーで新居へ向かいました。
全く新しい街で
全く新しい家に向かうこの
トキメキは、皆さんも想像に難くないと思います。
鍵を開けて家に入りました。そこには、まだ
自分の荷物は何もないけれど、自分の部屋が広がっていました。一直線に窓へ向かい、
ベランダからこれからお世話になる自分の世界の
眺望を満喫したものです。
さて、浸っていられるのもわずかです。午後からは日時指定をしていた荷物が次々と搬入されます。
まず日通の単身パックで運ばれた大物たちが搬入されました。冷蔵庫・洗濯機・楽器・布団・テーブルなどです。業者の方に設置を手伝ってもらって搬入終了。
そして、新しい収納もできるソファベッドも搬入されました。
大変だったのはゆうパックで運ばれた18個口!何が大変ってまず業者の方ですよ。あの15キロ〜30キロあるダンボールを14往復したんですよ。3階まで。本当に気の毒になりました。
そしてそれを開梱して一斉に整理。皆さんも分かると思いますが、大変時間がかかりました。でも、私の性格上、やりだしたら止まらないんです。CDコンポの設置、食器棚の再組み立て、及び食器の整理、服の整理、ベッドの設置…。エンエンと、黙々と、食事も忘れて夜の12時くらいまでかかって、一通り片付けました。
次の日、カーペットとカーテン、物干し竿を買いに、近くのスーパーに行きました。ぶらぶらと歩いて目に入ってくる新しい街の何とときめくことか。ちなみに、このスーパーが、後々かなりお世話になることになる、「サンエー・メインプレイス」だったと気づくのは後のこと。
そんなこんなで、怒涛の集中力で、引っ越して2日目には、もうほとんど片付き、ダンボールも処分して、昨日引っ越してきたとは思えない部屋が出来上がりました。
完全に「引越し完了」宣言(?)が出されたのは、車が到着した18日です。車を港まで取りに行き、乗って帰ってきて、そして車に積んでいた荷物を家に搬入して完了でした。
お祝いとしてちょっと気取った一人で飲むchampagneをたしなみました♪
新しい街で新しく作り上げた自分の部屋、感無量だったのは言うまでもありません。
10.役所関係
移住後、もちろんすぐに役所関係を回り、
東京都民から沖縄県民に変換をしました。
まずモノレールで
那覇市役所に行き(まだ車が届く前だったので)、
住民票を写して、
年金、
国民健康保険の切り替えをします。
驚いたのが、
那覇市役所の概観。
沖縄県庁のすぐそばにあるのですが、最初は、その県庁にばかり目が奪われ、どこに市役所があるのかわかりませんでした。(どこだろう)と、地図と照らし合わせて探してみました。すると、県庁のすぐ隣に、
すさまじいあばら家が!!それが市役所でした。中に入っても、その
あばら家ぶりは存分に発揮され、廊下も椅子もぼろぼろです。それでも、さすがに県内一の市ですので、人はひっきりなしに流れています。活気のある役所なのですが、本当にぼろかった。
1階の
市民課で全ての用件は足りました。住民票も移して、国民健康保険、年金の住所も切り替えました。
全部で30分くらいしかかからなかったような気がします(
印鑑登録を忘れました)。そして新しい保険証と、一部発行してもらった住民票を持って帰りました。
※余談ですが、手続きで椅子に座って待っている間に、耳に入ってくる「人の名前」が、
本当に耳新しく新鮮で「(
ここが変かも?沖縄人」参照)、沖縄に来たことを実感したのでした。
次に 免許証の書き換えは、車が届いてから行きました。というのは、ちょっとモノレールでは行きにくいところにあったからです。
そばのスーパーのインスタント写真機で顔写真を一枚取り、公安に向かいました。
※これまた余談ですが、「地方によって通称が違うもの」ってありますよね。
沖縄では、運転免許試験場(免許を発行する場所)のことを「公安」と呼びます。
東京では私は「試験場」と呼んでいました。みなさんのところでは何と呼んでいますか?
あっ、あと自動車学校のことを、沖縄では通称「自練(ジレン)」と呼びます。
この公安のたたずまいもまた、何と言うか…。ボロイです。もう本当に昔の田舎の駐在所をそのまま大きくしたような。椅子も受付の机も本当に古かったです。
さて、書き換えの手続きをして少し待っている間、耳を疑うやり取りが、係りの人とおじいさんの間で行われていました。
係 「(おじいさんの耳が少し遠いのか、声が大きい)…さん!少しお待ちくださいねー!」
翁 「あーはいはい。時間はかかんのかい。」
係 「そうですねー!少し時間下さいます!? 誕生日の書き換えは余り例がないので今調べてるんですよ。」
何でしょう、誕生日の書き換えとは。
友人に話したら、「戦後のドサクサで産まれたから、今この機会にはっきりさせたいのよ!」という意見がありました。…なるほど。
公安はいつでも、そしてどこでも混んでいるものですが、これも30分くらいで終わった気がします。
いずれにしても、これで行政的にも、沖縄県民としてデビューできたのでした!