ここが変かも沖縄人 『愛すべきウチナーンチュへ』
〜ちょっとした本土との風習の違い(バカにしてませんよ!)〜
このページでは、僕が感じた、沖縄の人の独特な文化風習を、本土(と言っても僕の生まれ育った東京基準で申し訳ないのですが)と比較して、興味深かった違いを列挙します。尚、タイトルで『…変…』と言ってしまっておりますが、別に改めることを願っているわけでは決してありませんのでよろしく。文化風習の違いは決して悪いことではないのですから。
1.ネーミングがちょっと…
何か、名前の付けっぷりが適当なんですよね。「大事なのは中身だろ」って、もちろんそれはそうなんですが…。
まず人名。もちろん最近の子供たちにはちゃんと(?)名前をつけていますが、昔の人たちの名前、なかなか豪快なのがあります(失礼?)。おばあさんの名前でウシさん、カメさん、ツルさん。
平和記念公園に戦死者の碑がありまして、色々な名前が彫られているんです。もちろん本土にも、お年寄りでなかなかファンキーなお名前の方はいらっしゃいますが、それでもウシさんって…。
続いて建物の名前。マンション名とか、けっこう適当なんですよ。いえ、もちろん西洋にかぶれて「エクセレンス高輪」とか「グレース白金」とかつけろとは言いませんよ。でも、「ウシマンション」って…。ホントにあるんですよ!もちろん前述のウシばあさんが家主さんであることに疑いの余地はありません。そのほかにも「マンションHAPPY」とかね。「パピヨン柳原」「スナック酔族館」「スナック母子家庭」…。これ、公共の場で「あなたの住所は?」って聞かれて「ウシマンション」って答えるの恥ずかしいですよね。
次に名字。これは別にとやかく言う話ではなく、むしろ『かっこいい』と思っている部分なんです。ご存知のとおり、沖縄の名字の「濃ゆさ」はすごい!!全部で約1500種類くらいあるそうです(ちなみに日本中では約30万種。ダントツで世界一位)。
有名どころでは、比嘉さん、大城さん、金城さん、ってところでしょうか。そのほかには、上原さん、玉城さん、宮城さん、とかでしょうかね。しかし、もっともっとハードコアな名前があります。行きますよ?我謝(ガジャ)さん、東恩納(ヒガシオンナ)さん、仲村渠,(ナカンダカリ)さん、勢理客(セリキャク)さん、謝花(ジャハナ)さん、嘉手苅(カデカル)さんなどなど。すごいでしょ?
引っ越してすぐ、役所に行って住民登録をしたのですが、飛び交う名前にいちいち感動していました。「東恩納さあん、保険証提出してください」「嘉手苅さん、3階にお願いします」。でも、あまりにも濃ゆ〜い名字ばかり聞いていると、本土のいわゆる“普通”の名字が妙に涼しげで良く聞こえてくるんです。「山本さぁん」「小川さぁん」う〜ん、雅やか。
最後に地名。これがまた何と言うか…。一番有名なのが(有名か?)、漫湖。…はい、そうです。「マンコ」です。いやもう…初めて看板見たときぶっ飛びましたね。若者のいたずら書きかと思いました。でも、沖縄の人は当然ですが、一地名として普通に使うんです。「ああ、あのマンコのそばの!」「マンコの近くで働いてるよ。」すごいでしょ?
ほかには伊武部(インブ)とかね。「恩納(オンナ)村のインブビーチで泳ごう!」…もう好きにしてくれって感じ。
2.女の子、前髪をちょんまげにする
これは
可愛いから好きです。
中学〜高校生くらいの女の子(たまに大学生くらいも)が前髪をゴムでしばって、ちょんまげにするんです。みんなじゃないですよ。一部の子ですが。これは単純に「
前髪が邪魔だから」だそうです。
オデコを全開にして、街を闊歩しています。
でも、気持ちも分かります。なにせ暑い夏のことです、汗をすごくかくのですが、そんなときに、前髪がバサッとかぶさってたら、気持ち悪いのでしょう。チョン、と前髪をしばって、
彫りの深い浅黒く焼けた顔で、白い歯を見せて友達とキャッキャッと歩いているのを見るのは、大変サワヤカなものです。
こういう
ブリブリせずに気取らない雰囲気は、沖縄のよいところです。
3.靴下が短い女子高生がいる
これも前述の#2と関係があるのかもしれません。つまり、「
涼しい」「
動きやすい」。
東京では女の子はみんなルーズソックスか、今は紺のハイソックスなのかもしれません。それに見慣れての移住だったので、最初はビックリしました。くるぶしまでの短い靴下を履いて、ほとんど
足首を露出させて歩いているのです。
もちろん、お洒落に敏感な
“アンテナの高い”女の子は、ハイソックスをはいていますが、「
うちら体育会系だしー。」みたいなスポーティーな女の子は、そういう短いソックスをはいています。
もう一度言いますが、こういうブリブリせずに気取らない雰囲気は、沖縄のよいところです。
合理的とも言います。
媚びないとも言います。
4.風俗雑誌、顔にモザイクがかかっている
年末に、友人と待ち合わせをしていたんですが、その時に街中にあるフリーペーパーを、暇つぶしに立ち読みしていました。バイト情報誌やタウン情報誌と並んで、ナイト・プレイスポットの情報誌がありまして、手にとってめくりました。
すると…女の子の顔の目のところに
ボカシが入っているんです!この店だけかな、この店が変わったコンセプトなのかな、と思って他のページもめくってみましたが、全店、やはり同じで、女の子の目にボカシが入っていました。
(え?何でだ?
一番大事なところだろ!!)と思って、あとで友人に報告しました。「こっちの風俗情報誌って、顔にモザイクが入ってたよ。知ってた?」と聞くと、友人は、「ああ、そうだよ。こっちって、何せ狭いから、うっかり友人や知人、さらには
彼女や
娘がいちゃったりすることがあるんだよ。マジでかなりの確率で知人がいるらしいよ。だから、情報誌にはモザイクを入れるんだよ」。
それは最悪だ!!どうするんだよ、友達ならまだギリギリOKとしても
彼女や娘を見つけちゃった日にゃ…。うぉー、考えただけでも恐ろしい。
でも確かに、沖縄で一番の都市、那覇でも、人口が30万人強。これも後述しますが、本当に人のつながりが、良くも悪くも絡み合っている
狭い土地です。知り合いがいてもおかしくはないです。
そんなわけで、こちらの風俗情報誌には、女の子の顔にボカシが入っているそうです。
5.「〜しようね」「〜しましょうね」
これを「変」というのはナンセンスかもしれません。というのは、沖縄のナマリだからです。これを「変」と言ってしまっては、文化破壊につながりかねませんので(?)。
沖縄では、「(これから私が)〜する。」というのを、「
〜しましょうね」という言い方をします。
具体例を挙げてみましょう。
本土「取ってきますね。」 これを沖縄風に言うと、
沖縄「
取ってきましょうね。」
この場合、取ってくるのはしゃべっている本人なのですが、後者、つまり沖縄の言い回しだと、「
(一緒に)取ってきましょう?」という風に聞こえないですか?
つまり、「I will 〜 (私が〜します)」という言い方を、沖縄の人がしゃべると「Let’s 〜(一緒に〜しましょう)」という風に、本土の人には聞こえるんです。
本土「あっ、すいません。ドア閉めます!」 これを沖縄風に言うと、
沖縄「
あっ、すいません。ドア閉めましょうね!」
くどいようですが、同じ用法で使っています。が、本土の皆さん、後者の言われ方をすると「すいません。ドア閉めていただけます?」という風に、聞いた側が何かアクションを求められている気がしません?
一度レストランで経験したのが、私が食事が終わって、皿が空いていたのを見つけた女性店員が、
「
あ、お皿下げましょうね〜。」
と言ったんです。私はてっきり、
セルフサービスの店なのかと思い、自分で皿をさげようとしてしまいました。でも、その
店員がサッサとさげていったので、「あ、違ったんだ…」と思ったものです。
最初は戸惑いました。でも、慣れると意外と柔らかい便利な言い回しなんです。沖縄の人の優しい感じがでてとてもいいです。
面白い点として、沖縄の人は、この「〜しようね。」「〜しましょうね。」という言い回しが、ナマリだとは思っていません。ナマリであることを指摘すると、「え?
これってナマリだったの?」って言いますよ。
全国共通だと思っているようです。
6.夏でも石焼芋
いやぁ、これは初めて見たときビックリしました。要するに
季節感がないんですよね。
沖縄の夏は、もう言うまでもなく暑いです。そこはまさしく
南国アイランド。アロハシャツとハーフパンツ、サンダルを履いた人たちが、さんさんと降り注ぐ日差しの中を、
夏いっぱいかみ締めながら歩いています。道路はたくさんの観光客を乗せたバスやレンタカーが、青い海をめざして、列を作っています。
ふと、道路わきを見てあなたは目を疑います。そこには軽トラックが止まっているのですが、荷台には何やら炉のようなものが積まれ、そこからは煙が立ち上っています。車の横に回ると、何とその車のボディにはこう
ペイントされているではありませんか!『
石焼芋』。
営業が成り立っているということは、ニーズがあるんでしょうね…。まあ確かに美味しいけど、何もこんな暑い中、『ホクホク』という擬音がもっとも似合う食べ物を食べなくても…。
7.夏でもブーツ
これも初めて見たときはビックリしました。しつこいようですが、季節感がないんです。女の子のお洒落も夏冬混在しております。でもだからといってブーツって!!
もちろんそういう女の子を見かけるのはごくたまにですけどね。
暑くないのかな、いや、
暑いだろうな。
蒸れないのかな、いや、
蒸れるだろうな…。
オドイーターなんて使ってるのかな…。
8.女の子の一人称
本土では女の子が公式の場、または目上の人の前で自分のことを呼ぶとき、「
わたし」と言います。当たり前です。
ところが、
沖縄では当たり前ではありません。何と、女の子は自分のことを「
自分」と呼ぶんです!!
「あ、大丈夫です。
自分がやりますよ。」
「
自分なんかはこういう場合、いつもこうしてますよ。」
文字だけで読むと、応援団か空手部みたいでしょう?
それも男の。でも、本当にみんなこう言うんです!本当ですよ!だから、本土から来た女の子も、次第に感化されて自分のことを『自分』と呼ぶようになる子もいます。
では、目上の人の前でないときは、何と呼ぶのでしょう。なんと!!
自分の名前で自分を呼ぶんです!!!
そして、その際、自分の名前の真ん中部分を延ばします。具体例を挙げましょう。
かなこ → 「かーな」
みか → 「みーかー」
ななこ → 「なーなー」
みのり → 「みーのー」
まりこ → 「まーりー」
あかね → 「あーねー」 などなど。
だから、かなこちゃんが自分のことをしゃべるときはこう言います。
「あ、大丈夫。かーなーがやっておくさー。」
しつこいようですが本当なんですって!!
では次に気になるのが何歳くらいまでの女の子が、自分のことをこう呼ぶかですよね。確かに本土でも自分のことを名前で呼ぶ女の子はたくさんいます。小学生くらいまでで。
でも何と沖縄では、今現在まで私が知りうる中で、立派な大人の女性の中にも、自分のことを名前で呼ぶ人もいます。東京だったら、聞く人はびっくりするでしょう?でも、みんながこうだから大丈夫。本当に全然不自然じゃありません(?)。
でも、自分のことを「わたし」と呼ぶ女性もいます。というより、ある程度まで行くとそのようになるらしいのです。なので、今とても興味があるのが、「一体いくつから『わたし』に切り替わるのだろうか」という点です。最初は仕事を始めてから、と思ったのですが、どうも違うようです。人によっては仕事をしていても『自分』と言ったり名前で呼んだりしています。この点は、引き続き調査していきたいと思います。
9.ガソリン代、表示してくれ!
こちらのガソリンスタンドでは、
値段表示がありません。これは本当に困ります。自分で色々試してみて、安いところを探さなくてはならないのです。
最近は本当にガソリン代が高いので、ただでさえ困っているのですが、
店によってはとりわけ高いので、最後に精算をしてビックリすることがたくさんあります。
ガソリンスタンドさん、お願いだから「
レギュラー***円」って表示してください!
10.動物死にすぎ
少し
ダークなタイトルで失礼します。
どこに行っても、犬や猫が道路で死んでいるのを見るのは嫌なものです。その日一日が憂鬱な気分になったりするものです。
しかし、ここ沖縄では、
道路で犬や猫が轢かれることが非常に多いように思えます。これは絶対に気のせいじゃないはずです。
はっきり申し上げまして、
しょっちゅう道路わきで死んでいます!
余りにも多いため、遠目に、道路に何かが落ちていると、「
あっ、またか?」と身構えてしまうようになりました。
しかも悪いことに、誰かがすぐに通報したり片付けたりしないのか、かなり
長い間さらされていることがあります。
未だに覚えているのですが、引っ越して間もない時、
片側2車線の道路のど真ん中で猫が轢かれていました。最初は生々しく血を流して横たわっていたのですが、次の日もまだ片付けられていませんでした。しかも、何せ交通量の多い大通りでずっと横たわっているものですから、車やバイクにさらに轢かれ、昨日よりも体が引きちぎられ、
ぺしゃんこになっていました。
その翌日も、さらにその翌日も、まださらされていました。日に日に、
体は裂かれ、つぶされ、砕かれていきました。
もう1週間もたつと、何か
道路に張り付いた感じにはなっているのですが、誰も原型が猫だとは分からない状態まで壊されており、さらに1週間も経つと、雨も手伝って、完全に道路に
擦り込まれ、または
流されていきました。
何ともいえない、悲しい気持ちになったのを覚えています。
重複するようで恐縮ですが、本当にしょっちゅう犬や猫が、死んでいます。おそらく野良犬、野良猫の絶対数がとても多いのだと思います。そうなったきっかけは、温暖なせいでしょうか。それとも沖縄の人が、気軽に飼っては捨てるからでしょうか。これはまだ私には分かりませんが。
実際、私も轢きそうになったことがあります。どうも沖縄の犬や猫は、出てきていい場所と悪い場所(もちろん、しょせん人間の尺度ですが)が、今ひとつ分かっていないのかもしれません。沖縄の人に聞いたら、「暑くて頭やられてるんじゃない?」とあっけらかんと言われてしまいました。
沖縄ではヤンバルクイナが車で轢かれると、別に死ななくてもニュースで放送されます(本当です)。しかし犬や猫は、轢かれて死んでしまっても、引取りにすら来てもらえない事がある。これは何とも複雑な気持ちにさせられます。
よく、メディアが沖縄を評して、「沖縄には生命の原点がある」なんていうのを聞いたことありますが、「生命の終点」をそんなに見たくはないな、というのが正直な気持ちです。