冷静に沖縄について思うこと
〜沖縄の良いところ & 悪いところ〜
私の今の上司(福岡出身・大阪本社から出向で沖縄に来た)が、言っていました。「”憧れ”で沖縄に来たのではない方が、幸せかもしれない」。そして、私もある部分では同感です。
どういうことかと言いますと、やはりどんなに理想と思える場所でも、そしてそこに一度旅行で行って素晴らしい人と巡り合えたとしても、やはり住むと、色々と悪い部分が見えてくるということです。もちろんこのようなことは、理性的に全ての人が分かってはいることですが、実際に現実に触れたときに、憧れが強ければ強いほど、ギャップに苦しむケースが多いような気がします。海外生活に憧れて移住した日本人の中にも、それを苦しむ人がいるのと同じです。
沖縄は、間違いなく素晴らしいところです。きれいな海、空、空気、温かく懐っこい人…。しかし、やはり首をかしげてしまう部分を目にすることが多々あります。
私は幸い(?)、”憧れ”で移住したのはない人間ですので、ある意味冷静に、見ることができている気がします。
このページでは、そんな私の、沖縄を冷静に考えたネタを見て、知っていただければと思っています。
もちろん、どんなギャップをもものともしない強い強い”超憧れ”をもっている人もいますのでね!海外生活を最初から完全に楽しめる人がいるのと、これもまた同じ。
1.うちなータイム
有名な話ではありますが、沖縄の人は、本当にうちなータイム(時間にルーズ)です。
たとえば飲み会があったとします。仮に集合時間を8時に設定したとします。ぜっっっったいに誰一人来ません。何の連絡も来ません。仮に来たとしても、それは本土出身の人です。8時半にも…おそらく来ません。9時に一人か二人来ます。10時に5〜6割が来ます。来る予定の人間が全員そろうのは、下手すると11時。実に集合時間の3時間後!!
東京に住んでいた時代、集合時間がやはり8時だったとします。すると、7割が8時に来ました。そして遅れる人からは、メールが来ました。「ごめん!一つ前の駅にいる!ダッシュで行きます!!」そしてその人が来るのは8時5分でした。8時半には9割がそろって、飲み会の会場に移動しているのではなかったでしょうか。
別のケースを考えましょう。例えば、職場のみんなで運動をしようということになり、夜の8時からある体育館のコートを予約したとします。ある人たちは、職場から直行することにしました。しかし、7時50分になっても、まだのんびりと仕事をしているのです。それも、別に急ぎではない仕事を!!どう考えても職場から体育館までは15分はかかるのに。
どうも、時間に関する概念が根本的に違うようです。
良く言えば、「時間に支配されていない」「せかせかしていない」のですが、悪く言えば、「『時間を守る」という、約束の初歩の初歩を守れない」と言えるかもしれません。
これを、美徳と取るか、悪徳と取るかは人それぞれかもしれません。なにより、都会の慌しい喧騒から逃れるべくして、沖縄に“スローライフ”を求めて来た人には、夢のような話かもしれません。ですが、別に沖縄だけ一日が30時間なわけではありません。社会で人とつながる以上、「時間も守れない」ということがストレスになることも十分に考えられます。いわゆるキッチリしている人は、慣れるまで大変かもしれませんね。
あと、よく勘違いされることですが、仕事はさすがに時間を守らないといけませんよ。別に全員遅刻しているわけではありません。「私朝弱くてよく遅刻しそうになるから、沖縄のスローライフ、憧れるわぁ」と言う方は根本的に勘違いをしております。ご注意を。
これは私の持論なのですが、この『時間にルーズ』という社会的風土は、「電車がないから」ではないかと強く思っております(実は、この「電車がない」と言うことは、後述しますが、色々なところで本土との違いをもたらしているような気がしております)。
電車があると、すべては時間の制約下におかれます。「会社が9時からだから、8時半には着きたいから、駅から10分歩くから、7時45分の電車に乗るから、家から駅まで7分歩くから…」と言う風に、まさに“一の位”の分単位で生活を設計することになります。本土の人間(すいません、私の生まれ育った東京の基準で考えてしまっておりますが)は、別に意識せずとも、そのようにタイムテーブルを作ることが習慣づいているのです。まして最近ではインターネットで乗り換え案内が一瞬で検索でき、乗り換えに要する時間まで出てくるのです!そのような生活に慣れていたら、仮にプライベートな飲み会であっても、「時間を守る」と言うことが、苦もなくできてしまうのではないでしょうか。
その点、沖縄には電車がありません。市民の足は、バスか車です(モノレールもありますが、今ひとつ市民の足として定着はしていない気がします)。でもバスはあまり使われず、ほとんどは車でしょう。そうなると、自分の家から現場(会社であれ遊び場であれ)までドア・TO・ドアとなり、すべては自分で時間設定を支配できるのです。ただでさえ、時間が確約できない道路事情に加え、そもそも時間に支配される習慣のない人たち、それは時間にルーズな風土になっても仕方がないのかもしれません。
2.フワーッと決まって仕切らない
実はこれは書くのに迷ったんです。
というのは…いや、とりあえず書いてから釈明(?)しますね。
沖縄の人は、いい意味でも、悪い意味でも、
仕切ることを避けるような気がします。何かイベントを企画するときも、“フワーッ”と決めて、“フワーッ”と決まっていく、というような感じがします。誰かがリーダーシップを取って、グイグイと引っ張って決めていくということがあまりないように感じます。
これは、決して
悪いと言っているのではありませんので勘違いなさいませぬよう。
私は、こちらに来て職業訓練学校に通い、およそ30人ほどのクラスだったのですが、とてもみな仲良く、色々な遊びに行きました。
その訓練期間も終わり、最後にみんなで打ち上げよろしく、居酒屋で飲み会をしたことがあります。その時に、隣にいた男の子(沖縄の人)と話をしました。そして、みんな本当に仲良くここまで来ることができた事をたたえあったのですが、その時彼が、みんなが仲良かった理由をこう分析していました。
「僕は、このクラスが仲良かった理由は2つあると思うんですよ。
1つ目は女の子が多かったこと。ほら、女の子ってみんなでキャッキャッやるの好きじゃないですか。
で、
2つ目は、ナイチャー(本土出身の人)が多かったこと。」
※30人中、8人がナイチャーでした。
彼はこう続けます。
「やっぱり
ナイチャーが、遊びに行くときもイベントのときも、
必ず仕切ってくれるから、たくさん遊びができてみんなで仲良くなれたんだと思うんですよ。」
確かに、それまでは考えもしなかったのですが、我々の遊びのほとんどは、
ナイチャー企画、指揮しての遊びでした。そして、
沖縄の人もノリはいいので、みんなどんどん参加してくれて、イベントが成立していた部分があります。
なので、今のところの印象なのですが、いい意味でも悪い意味でも、あまり仕切る人がいないような気がします。ただ、
誘うことはすごくしてくれます。本当にみんな人懐っこく、「あれしません?これしません?」と細かく誘ってくれます。これは
すごく嬉しいし、本当にいいところだと思います。
さて、いよいよ冒頭の「実はこれは書くのに迷った」という点の理由です。
この『仕切らない』という点なのですが、もしかすると、本当にもしかするとなのですが、これはナイチャーがいたから仕切らなかったのでは…と思ったりもします。つまり、「ナイチャーがいるからうまく仕切ってくれるだろう。任せよう」という考えが、本人たちも気づかないうちにあるのではないかと思ったりしたのです。
なので、ナイチャーがいない場所では、実は良くも悪くも、仕切る人がいるのではないかと思うのです。
これに関しては全く分かりません。沖縄の人に聞いても、「えーどうかなー?関係ないんじゃない?」と言われそうな気がします。全くなんの根拠もない話です。
さて、まとめですが、この『仕切らない』と言う考えは、悪く言うとリーダーシップの責任を避けたがる、と言う風にもいえますが、よく言えば、「みんな平等の立場で話を進めていこうよ、ゆっくり決めていけばいいさー」という平和でのんびりした風土から来たものなのかもしれません。
ですので、この点に関しては、今後ともいろいろ感じていくことだろうと思います。
3.活字離れ
昨今、日本人の活字離れが叫ばれていますが、ここ沖縄ではどうもその傾向とは無縁のような気がします。なぜならば、
最初から離れているからです。
まあそれはちょっと極論かもしれませんが、多くの沖縄の人は本を読みません(
もちろん読む人は読みますよ!!)。読む習慣があまりないのです。実際、図書館の数も、本屋の数も、人口の割には非常に少ないです。あっても非常に小さい。
そしてそれはどういう結果になるかといいますと、
語彙が乏しくなる。
漢字を知らない。そして
新旧問わず、世の中の情報に疎くなる。ということになります。
情報に疎くなる、という点についてですが、本当に余り物事を知らない人、特に若い人が多い気がします。日本地理、世界地理、日本史、世界史、日本経済、世界経済など。もちろんこれには個人差はあります。
沖縄の人でも、よく知っている人もたくさんいますし、本土の人でもやはり全然知らない人もたくさんいます。でも、沖縄の中ではいわゆる「いい高校」とかを出た人でも、そういう世の中の情報量は
圧倒的に少ない気がするのです。
一例として、
外国に関するイメージが全くない人がいる。例えば、イタリアと言えばローマの遺跡を思い浮かべたり、パスタを思い浮かべたりする人が多いと思います。アメリカであれば自由の女神やグランドキャニオンを思う人もいるかもしれません。中国だったら万里の長城や天安門広場でしょうか。しかし、沖縄の人は、そういった“絵”や“データ”と、国の
情報が結びつかない人が多いのです。
私個人としては、沖縄の人は
情報を取り入れようという意欲が根本的にかけているのではないかと思うのです(それは媒体が本であっても、インターネットであっても同じ)。
ただ、これもフォローさせていただくと、別に一概に悪いこととはいえません。知識を得て、頭でっかちになり、それを
間違った仕方でひけらかすことがなくなります。そういう間違った人は、東京なんかいっぱいいますからね。事実、
沖縄の人で、“ずるい、悪賢い人”というのはあまりいない気がします(別に「本を読まないから」とは関係ないとは思いますが)。さらに、いい意味で“井の中の蛙”で、今の身の回りの半径で十分幸せならば、外の世界を見てコンプレックスや不満足感に悩まされている人よりもどれほど恵まれていることか。
最後に、これも全く根拠のない私の持論なのですが、この「本を読まない」文化が出来上がってしまった原因の一つとして、先ほども挙げた
「電車がない」ということがあげられると、思っております(「またそれか」と思わせたらすいません…)。もちろん、本を読む時間を取り分ければいいのですが、なかなか生活や仕事に追われて、そんなゆとりがないのが現代人です。それで、多くの人にとって、通勤、通学の移動中が、新聞や本、つまり活字を読む時間になっていることが多いのではないでしょうか。事実、私もそうでした。
沖縄に来て本を読む量が激減しました。もっともそれは自分のせいでもあるのですが。
いずれにしても、沖縄では本を読む習慣が薄そうです。もしこれから、沖縄が沖縄を、ナイチャーの力も借りつつも、沖縄人が自らの力で日本中に、そして世界中に文化を発信して行くのであれば、もっと多くを学び、情報を自分で集めて整理していく力を養ったほうがいいのかもしれません。
4.毛深い
いえ、これは別にどうこう言うことではありません。単純に遺伝子の違いですので。
でも、ある民俗学者が「
毛深さと情の深さは比例する」というようなことを言っていました。なるほど、沖縄の人は男性も女性も毛深いです。そして確かにそれに伴って、
不器用ながらも情があるような気がします。
でも毛深い人は毛深い…。ある中学校の校則には、眉毛の処理を禁じておきながらも、「ただし、
ゲジ眉の者についてはこの限りではない」という例外的な待遇があるらしいです。ほんとかなぁ…。女の子も中学から夏前には友達と
背中の剃り合いをしている子もいるそうな。
ヒゲも濃い人が多いです。放っておいたら…もう
スゴイ事になってしまうそうです。
でも、そんな
浅黒い濃い人たちに、
白い歯を見せられてにっこりと柔らかく笑われ、優しくされたら「あっ、毛深さと情の深さは比例するのかも」とか本当に思ってしまうものです。
5.ヤンキーが多い
これは都会にあらざる土地の宿命なのかもしれませんが、ここ沖縄でもやはり、
天然記念物に指定されるであろう、
優秀な素材がたくさん見受けられます。
しかし、話を聞くとこれまた
非常にヤンキーが多い!やれ「あそこの中学は悪い」「そこの中学も悪い」という話ばかり聞きます。
話に聞いた幾つかのエピソードを、簡単に箇条書きしたいと思います。
・墓場で酒盛り
沖縄のお墓は非常に大きいんです。これは本当にビックリしました。それこそ、東京の小さな1Rよりも 大きい。中に入ると(いいわけない)、普通に雨風がしのげる立派な石造りなんです。
すると、
神をも恐れぬ中学生ヤンキーたちはどうするかと言うと…。夜に集って酒盛りをするんだそうです。
・中学生 朝の教室で …秘め事
これは、那覇市は
真和志中学校でのことだそうです。真和志中学校はなかなか
有望なヤンキーを排出する名門校だそうです。ある女の子が、
朝登校して
教室を空けると、
第二次成長の波に見事に乗っかったヤンキーの男女が…机を並べて
頑張っていたそうです。何も朝に…。何も教室で…。
・ジンカメ
これは沖縄特有の表現です。全国区の言葉で言うと「カツアゲ」でしょうか。『
ジン』がお金のことだそうです。『
カメ』がせびる、ということですね。
どういう風習かと言いますと、学校の先輩が、後輩に「いくら集めて来い」というノルマを課します。ボコボコにされるのが怖い後輩は、一生懸命友達や、自分の後輩からお金を集めて
先輩に上納するわけです。これがもっとも主流のジンカメ。
または、道で歩いていて自分より明らかに弱い者を物陰に連れ込んで「
…だせや」。これもジンカメ。
私も実は、職場の近くで、正にジンカメの現場を警察に押さえられた中学生3人を見ました。職場の女の子は「ウケますよね〜。」とケラケラ笑っていました。
・ 成人式
沖縄の成人式の荒れ模様は、完全に全国に知れ渡っております。しかし、実は一番面白いのは、暴れ模様ではなく、その格好。
女の子はもちろん20歳の
ピチピチ着物姿を撮るべく、
ブリブリとお洒落をしているのですが、…男。
何とハカマ!!いえ、それは全然いいんです。何がすごいって、地域ごとでおそろいの袴を着るんですが、その色が
金色、水色、オレンジなどド派手なんです!しかも髪がパンチパーマ。色つきサングラス付。もう何が何だか…。それがゾロゾロと集まってギャーギャーやってるんです。
面白いのが、地域ごと、学校ごとで袴の色をそろえるので、事前に「
お前の学校はピンクな。俺たちは金色だ。」というような
談合が行われていることです。
・ 自転車暴走族
暴走族と言っても可愛いものです。何せ小学生〜中学生の男の子が、自転車に
3段シートもどきをつけて走り回っている程度です。いや、何が面白いって、後ろに
旗をつけて走ってるんですよ!!可愛いでしょ?
でも、意外と彼らいい奴で、すれ違いざま、「
こんちは!」何て叫んで言ったりします。
本当にヤンキーが多いです。ただ、無差別にからんでくるヤンキーは余りいませんが。
あ、でも国際どおりを深夜歩いていると、こちらがナイチャーと分かると、威嚇してくる人なんかもいたなぁ。
本土から転勤で移住してきた家族は、自分の子供を、『ガラの悪い』沖縄の学校に行かせたくないということで、父親だけ沖縄に単身残して、母親と家族は帰っていくというケースもあるそうです。
6.ご近所大好き 知りたがり
毎度のことですが、勘違いなさらぬようお願いします。決して沖縄のこういう風潮を
悪いと言っているのではありません。
そもそも、この『干渉好き』というのは、いい部分と悪い部分の
紙一重な話です。基本的に、
横のつながりが非常に強い沖縄の風土では、他人のことを気遣って心配する、助けるということが自然にできる環境なのです。
しかし、悪い部分となりますと、いわゆる「
放っておいてほしい」ことまでも
根掘り葉掘りほじくりたがる傾向があるように思えます。これは、私と同じく、
沖縄に移住した友人が感じたことらしいのですが、
「誰と付き合ってるの」
「どうして…しないの」
「昔…だったの」
「昨日何してたの」
など、いわゆる他愛のない話を、
エンエンとほじくってくるそうです。
もちろん、本土だってこのような会話は酒の席等では自然と起こります。が、沖縄では何というか、「
教えろよー。教えるまで突っ込むぞ。教えないと俺たちは仲間じゃないぞ。」(←これは言いすぎ)
的な雰囲気になることがあるそうなのです。
実際に別の友人のある職場では酒の席で、「
今後誰かと付き合ったときは、みんなに報告しなければならない」というルールができたそうです!
…え、もしかしてこれって普通ですか?私の周りの環境では聞いたことのない話しだったので、ビックリしたんですが…。
…でもむしろこれは、逆に今まで東京という、「他人のプライバシーを過度に尊重する(他人から干渉されることを極度に嫌う)」土地にいたのでそう感じるのかもしれません。なのでそういった意味では、私の生まれ育った
東京こそが、『人間味のない』土地なのかもしれませんね。
7.とにかく「狭い」
ここで言う「狭い」とは、もちろん地理的に狭いということもあるのですが、どちらかと言うと、
人間関係が狭いということです。もちろん、これには地理的な狭さが合ってこその話なのですが。
私が以前東京にいたとき、ある車の修理工場の家族と中が良かったことがありました。あるとき、その奥さんに、「ねえ、あなたが行ってた高校の
保険の先生、佐藤先生じゃなかった?」と聞かれました。驚きました。
その通りだったからです。確かに、けっこう仲の良かった保険の先生は佐藤先生でした。
何でも聞くところによると、その奥さんと、保険の佐藤先生は、秋田県の高校時代の同級生だったらしく、今でもよく遊ぶ仲らしいのです。その二人で飲んでいる時に、学校の話になり、私の話がでたらしいのです。これを聞いて、「あー、世の中、狭いんだな。」と
ビックリするやら感激するやら。
さて、前置きが長くなりましたが、ここ沖縄では、
そんなの当たり前です。日常茶飯事です。
実際に私の周りで起きた、または聞いた「世の中狭い」話の実例を列挙させてもらいます。
・ 職場の同僚女性Aと、同じく同僚女性Bの姉が同級生だった。
・ 職場の同僚男性Cと、上記Aの彼氏が同級生だった。
・ 職場の同僚Dと、私の女友人Eの兄が同級生だった。
・ 私の友人Fと、その中学校時代の教師Gが、同じ職業訓練学校の同級生として顔をあわせた。
…疲れてきたのでここら辺にします。AとかBとか、分かりづらかったと思うのですが、ここで私が言いたかったことは、必ず誰かと簡単につながってしまう、ということです。必ずです。
東京で、このように共通の知人などがいたことが分かると、「え!?マジで!?あいつ知ってんの!?」とそれは感激するものです。でも、沖縄では共通の知人など本当に日常茶飯事ですので、共通の知人がいることが分かっても、さして感動していません。
これ、本当です。本当に人のつながりが密です。濃いです。顔も濃いですが。
東京という、3000万都市(神奈川・埼玉・千葉含む)からきた私には、なぜこんなに人がつながるのか、理解できない感覚です。恐怖すら覚えます。
本土から来た人は、この感覚に慣れるまでには時間がかかるかもしれませんね。
ちょっと思ったりしたのですが、沖縄で離婚率が高いのも、このせいかもしれません。
その1:人のつながりが密接なので、離婚しても食べていける。(←これは信憑性大)
その2:人のつながりが密接なので、浮気や過去の付き合いなど、すぐばれる(信憑性小)
※ちなみに、人口密度は日本で10番目に高いそうです。
8.海外旅行が非現実のもの
別のところで触れましたが、沖縄の人にとって『旅行』とは、
かなりのビッグイベントです。本土の人が考えるよりもビッグイベントです。なにせ遠く離れた孤島に住んでおりますので、「隣の県」というものがありません。県外に出ることがすでにビッグイベントなのです(しつこい?)。
なので、たとえば那覇在住の人の旅行のステップとしては、
レベル1:名護以北の北部へドライブ(日帰り) ※旅行と言えるのだろうか
レベル2:渡嘉敷島等、本当から近い離島へ船(日帰り)
が、いわゆるレジャーとして
初歩的なステップです。
そしていよいよ宿泊が絡むと…
レベル3:宮古、石垣等大きな離島へ飛行機
そしていよいよ県外へ…
ここくらいから、いよいよ旅行としての様相が完成を見てきます。
レベル4:大分、福岡等九州へ飛行機
レベル5:大阪、京都等関西地区へ
レベル6:東京へ
レベル5〜6まで行くと、骨の髄まで『旅行』しちゃう感じになります。
もっと頑張る人は長野など「通」っぽいところへ。北海道までスキーをしに頑張る人もいます。こうなると沖縄ではかなりの「旅行通」になります。
そして中にはいるんです。海外組が。ごく稀に。
レベル7:台湾、香港、韓国
レベル8:オーストラリア、アメリカ
レベル8まで行くと、かなり「グローバルな人」ということになります。
でも、私が今まで知り合った沖縄の人で、ヨーロッパに行った人は一人もいません。あくまでも私が知り合った中で、ですよ?
私の住んでいた東京では、ヨーロッパ、アメリカなんて大学生がヒョイヒョイ行っていました。もっとヘンピな国(失礼?)に行っている人もいました。エジプト、ボリビア、モロッコ等。
そしてもう1点感じたこと、『沖縄の人は海外の情報が極端に少ない為、誰かが行って、そして「よかった」と言ったところに行く』、ということです。
具体的に例を挙げます。ラスベガス。
私の知り合った沖縄の人に「じゃあ海外で行ってみるとしたらどこに行きたい?」と聞いたところ、ほとんどの人が「ラスベガス」と答えたのです。
当然私としては聞きます。「なんで?」するとみな一様にこう答えるのです。「(人の名前)…が行って、いいって言ってたから。」
みんなそう言うのです。おそらく、別にラスベガスじゃなくてもいいのだと思います。要するに、『誰かがいいと言った』から自分もそこに行きたくなるようです。
今までの私の周りですと、「なに?あいつイタリアに行ったの?じゃあ俺、ドイツに行く」という感じでした。要するに、海外の色々な情報をいつも得ているので、すぐにイメージの転換ができて、自分がそこに行くビジョンを作ることができるのです。
沖縄にとって、海外とはイメージすら浮かばない遠い遠いところなのかもしれません。というよりも、この海に囲まれた狭い沖縄にとっては、物理的には本土すら『海外』ですから、本土の人が考える『海外』とは、根本的に考え方が違うのかもしれませんね。
9.沖縄大好き
沖縄の人は
沖縄が大好きです。
当然です。そして何にも悪いことありません。人が、自分の生まれ育った場所を愛するのは
至極当然のことです。むしろ、特別な事情がないのに生まれ育った場所を愛せないようではあまりよろしくないかと思います。
しかし、ここ沖縄ではその郷土愛というかナショナリズムというか島国根性がとても強い気がします。
つまり、例えば日本人が日本列島という島国に住んで思う郷土愛を、もっと小さく沖縄にまとめた感じになります。ほら、あれですよ、「…俺たち日本人なんてさ、外国と比べるとダサいし、汚いし、結局貧しいし…。」とか言っておきながら、ワールドカップアジア予選とかで熱狂しちゃうあれですよ。
多くの日本人はそのように、「外国に対しての日本」という観点で見ます。
ところが沖縄の人はそれに加えて、もう一段階小さい「本土に対しての沖縄」という観点でも、同様に卑屈になったり、郷土愛を出したりします。
さらに多くの日本人は、外国で活躍している日本人をとても誇りに思ったりします。そして沖縄の人はそれに加えて、もう一段階小さく、「本土(全国クラス)で活躍している沖縄人」をとても誇りに思ったりします。
一例を挙げますと、甲子園の沖縄代表校への応援熱たるやすさまじい。「本土の奴らをぶっ倒せ!奴らに負けるな!」…とまではマァいかないまでも、かなり熱狂的に応援しています。だから平成11年に沖縄尚学が優勝したときは、それは県中がすごいことになったそうです。
さて、ここまでは大変微笑ましい話なのですが、私がちょっと考えてしまうことがあります。それは、沖縄にばかり主眼がいってしまい、他の情報を無意識のうちに排除してしまっているケースが見受けられるということです。
例えばこのスポーツの話ですが、ある競技で、ある高校がインターハイにいったとします。そして沖縄県代表が3位だったとします。すると、翌朝の新聞のスポーツ欄には、その県代表の高校の活躍が大きく掲載されるのですが、1位と2位の高校(もちろん他県)については、簡単な結果だけが書かれ、その頑張った県の代表校の努力や健闘がほとんど無視されているのです(そして同じスポーツ欄の別コーナーでは「(沖縄)県内ママさんバレー大会決勝結果」がけっこうデカく書かれたりします。…ママさんバレー、そんなに大切なのか?)。
これはどうなのでしょう。確かにこの狭い沖縄島から本土に渡り、一生懸命本土の強豪と戦って、頑張って3位を勝ち取ったのは素晴らしいことですし、誇りに思う気持ちは分かります。ですが、それ以上に頑張った高校生のことを、他県であることを理由にないがしろにするのはいかがなものかと。京都出身の別の人も「京都ではそんなことなかったよ(つまり、他県の活躍も同様に賞賛していた)」と言っていました。
…でも考えてみれば、外国で日本人が何か活躍しても、それ以上に活躍した外国人のことを特集したりはあまりしませんからね。やはりそういった意味では沖縄は本土に対してある種の外国意識があるのかもしれません。
そしてもう1点。
「沖縄最高!大好き!本土は怖い!人が冷たい!」を声高に叫ぶ人たちがいます。その人たちに聞きたくなることがあります。どれくらい本土のことを知っているのかと。ちょうど本土の人が沖縄のことを理解していないのと同じです。ちょっと旅行に行ったくらいで知ることのできる沖縄など、本当に表面だけです。同じようにちょっと旅行に行ったくらいで知ることができる本土も少しだけだと思います。
私に言わせれば、あの東京ですら、95%の人は親切で優しいですよ。まして本土の田舎の人たちの温かいこと!!そしてもちろん沖縄の人も本当に温かくていい人です。
なので、沖縄の人が沖縄を愛するのは本当に当然で然るべきことですが、外を改めて冷静に観察して評価する広い心を持つのも必要なことではないのかと思います。
…でもこれも考えてみれば、日本人も外国に対してかなりステレオタイプなところがあるので、やはり日本のような小さな島国で育つとそうなってしまうのかもしれませんね。
つまり結局は、これが島国根性。
10.シャイだけど人懐っこい
沖縄の人は、なんとも
口下手な感じで、方言も手伝って
話し方も流ちょうな感じではないですが、とても
人懐っこい気がします。ただ、けっこう
シャイな人が多いので、慣れない人に自分から話しかけるのは、もしかすると苦手なのかもしれないですが(人にもよりますね。ナンパだってしてる人はしてますから)。
実際、笑顔は本当に人懐っこい!!
濃い顔でクシャッと笑われると、もう本当に優しい気持ちになります。事実、
あの沖縄の男性の崩れた優しい笑顔に“やられる”本土の女性もたくさんいるらしいです。でもその気持ち、分かるなぁ。
時間がたち少しずつ打ち解けてくると、色々なことに誘ってくれたり、好意を示したりしてくれます。今の職場でも、本当にみんな次々と近づいてきてくれて、
ニコニコと「あーだこーだ」と話しかけてきてくれます。
幾つかの感動した事例をご紹介します。
事例1:
別のところで触れた、就活の時に求職したA社に面接に向かう時のことでした。何せ移住して2ヶ月弱。まったく地理の分からない私は、車でA社まで向かう道を完全に迷ってしまいました。ひとまず車をそこら辺にあったスーパーに止め、地図を眺めながらどうしようと思っていました。するとそこに、仕事中と思われる作業着姿の35歳くらいの男性が原付バイクに乗って、駐車場に入ってきました。
面接に行くため、スーツを着ていた私はその男性に近づき、その会社に行きたい旨を話しました。すると、その男性は一目見てナイチャーと分かる私に対して、とてもなまりながら、「・・・あーと、うーんと、兄さん、車かい?ついてきな。」と行って、自分の買い物も済ませず、その会社まで10分足らずの道を、原付バイクで先導してくれたのでした。そしてその会社に近づくと、前の方で「ここだよ」と指差して、自分は走り去っていってしまいました。その後姿のかっこよかったこと。
事例2:
やはり就活の時の話です。今勤めている会社に面接に来ました。当時、うちの会社は事務所がモノレールの美栄橋にありました。
面接を終えて会社を出ると、何と激しい夕立が。沖縄ではけっこうあるんですよね、夕立。車を止めている駐車場まで歩いて3分くらいですが、この雨では3分でもスーツはびしょぬれになってしまいます。私は持っていたカバンを傘代わりに頭にかざし、走り始めようとした時、後ろから男の人が走って追い抜いていきました。その人は新聞紙をやはり傘代わりにして走っていったのですが、何と私を追い抜きざま、「お兄さんもこれ使いな。」と言って、もう一部手に持っていた新聞紙を私にくれたのです。そして走り去っていきました。
その、気軽に人に親切にできる風土に、移住間もない私は心底感動したのでした。
事例3:
今の職場に勤めて、雰囲気に慣れてきた私に、沖縄人スタッフはとても人懐っこく近づいてくれます。「釣りに行きましょう」「東京はどうですか?」「ビリヤードしましょう」「バドミントンに行きましょう」などなど。本当に嬉しい限りです。
その中で一度、とても嬉しかったのが、沖縄の料理の話になった時のことです。沖縄の家庭料理に「にんじんしりしりー」というものがあります。ニンジンを薄くスライス(しりしりー)してポークと合わせて炒め、塩や砂糖で味を調えて卵でとじる、というような料理です。
当然、東京出身の私に分かるはずもない料理です。私が「食べてみたい」と言うと、スタッフの一人が「じゃ今度母親に作ってもらいましょうね(でた!『…しましょうね』!)」と言ったんです。そしてしばらくして忘れかけた頃、パックに入れて本当に持ってきてくれたんです。そのスタッフいわくは、「母親は、『あんまり美味しく作れなかったさー』と言ってました」と言っていたのですが、本当に美味しかったこと!感激でした。
沖縄の人は、一般にはシャイだと思います。でも、その
不器用な感じがまた誠実そうで優しそうで、
とても人間味があるのです。そして浅黒い濃い顔から繰り出されるあの人懐っこい崩れた笑顔!「
…こりゃかなわないなぁ」と思ってしまうのでした。