沖縄お勧めスポット 〜観光地編〜
ここでは、今まで訪れた沖縄の観光スポットを、写真つきで紹介、そして独自の観点で評価していきたいと思います。
ベタベタな観光地もあれば、2泊3日で滞在する観光客は全く相手にしないであろう『地元的』スポットもあります。参考にされてください。詳しくお知りになりたい方は、お問合せくだされば、分かる範囲でお教えいたします。
21.福州園
沖縄は、今さら言うまでもなく昔は「琉球王国」として、日本とは異なる独立国として存在しておりました。その地理上の便も手伝って、沖縄(琉球)は、日本(本土)よりも、中国との関係が密でした。
今から何百年も前には、琉球は明(中国)に貢物を納め、臣下として振舞っており、その代わりに、明から多くのモノをもらっていたそうです。そのモノの中に、人材として、中国の福州市に住んでいた、技術屋さんがおりました。そういった人的交流も、琉球王国は中国と、特に福州市と持っておりました。
そのような流れから、那覇市と中国の福州市は、姉妹都市となっているそうです。
その姉妹都市交流10周年記念事業として、1992年に作られたのが、那覇市にあります中国式庭園、「福州園」です。
広さは8500uと言われ、ゆったりと歩くと30分ほどで回れます。
中は思いっきり中国様式で、建物も透かし彫りがあったり、龍の彫刻がなされた柱の建物があったり、大きな池があったりします。聞くところによると、四季をそれぞれイメージした4つのエリアに分かれているとか。
そして、石の階段があって上っていくと園内を一望できる素晴らしい眺めが!!
本当に暑い日に訪れたのですが、水の音と風のささやきとで、本当に涼しくなりました(実際に涼しいと思います)。
入場料は今は無料のようです(以前は300円とっていたとか?)。皆さんも、沖縄でふと四季感を味わいたくなりましたら、是非ご訪問下さい!
22.嵐山展望台
今回は、
那覇からずっとずっと北部(美ら海水族館や古宇利島方面)へ向けて車を走らせ、
名護市に入りますとあります、
絶景ポイントをご紹介いたします。
名護市と今帰仁(なきじん)村の境にある「
嵐山展望台」です。
パイナップル畑に囲まれて、非常にのどかな場所にあります。
一階が売店となっているその展望台に上りますと…。
おお!素晴らしい絶景が!!
羽地内海の小さな島々や古宇利島、屋我地大橋などが見渡すことができます。
その
のどかな海、そして
点在する多くの小島群を評して、
この羽地内海を、「沖縄の瀬戸内海」と呼んだりもするそうです。
※なお、今回同行していた友人(四国出身)曰く、「…瀬戸内海はこんなんじゃないよ」だそうです…。
いずれにしても、
晴れた日に望むこの絶景!!必見です。
…さて、少し
視点を変えてみましょう。遠く広く眺めていた視線を下に下ろし、ふと
手をかけている手すりに目をやると…。
男と女の愛憎劇が!!!
よく観光名所などに行きますと、いいのか悪いのか(悪いに決まっているが)、
色々なメモリアルを残していってしまう方々がいらっしゃいます。ここ嵐山展望台も例外ではなく、
「〇〇××年□月△日 けんじ&さとこ」みたいな
目を覆いたくなるような桃色吐息モノの甘い書置きがしてありましたが、それに混じって
愛が恨みに変わった瞬間の呪いのメッセージが多数!!
※なお、今回同行していた友人(四国出身)曰く、「…変なとこ見るね」だそうです…。
ご覧下さいこのメッセージ!!
「あやバ〜カ 殺してやる 勝手に男を作りやがって… 今でも好きなのに ウエチ」
ひー!!
殺すなんてただ事じゃない!!しかも
今でも好きなんでしょ?ウエチさん!でも
勝手に男を作っちゃったんだ?あやさん。…でもそっちが好きになったんなら仕方ない…?
ウエチさん、うっかり名乗っちゃった以上、殺さずファイト!
「真樹 今でも忘れられない 1998 7/29」
真樹さん、
あれから8年経った今、
どなたとお付き合いしているか私は知りませんが、貴方の肩には
昔の女の怨念が重〜くのしかかっていますよ…。何てったって「今でも忘れられない」そうですから。
真樹さん、うっかり名前をご丁寧に漢字で書かれちゃった以上(画数多いのに…)、除霊でファイト(…別に死んでないか)!
大いに脱線して申し訳ありませんでした。でも何もかもひっくるめて嵐山展望台、いろいろな意味で見所多し、です!皆さんも是非行かれてください!
23.喜屋武(きゃん)岬
沖縄本島の最南端の岬です。
場所が少し分かりづらいかもしれません。
というのも、実際に喜屋武岬にたどり着くためには、
サトウキビ畑の間を通る農道を抜けていくからです。
その農道を抜けると、駐車するスペースと公衆トイレのある広場に出ます。そこが喜屋武岬です。
素晴らしい景色であると同時に、その
断崖絶壁のすさまじさに、足がすくむかもしれません。ここから落ちたら…と思うとぞっとします。
ですが、実際に今から60年以上前、ここから非常に大勢の方が身を投げていきました。そう、第二次世界大戦、沖縄戦線の最終段階での出来事です。
沖縄県の中部に上陸した米軍は、まず西から東を制圧し、沖縄を北と南に分断します。
そのあと、北部をあっさりと制圧した米軍は、一気に南部へと戦線をのばします。当初、司令部のある首里を落とせば陥落かと思われましたが、本土決戦への時間を稼ぎたい日本軍は、沖縄で米軍を引き止めるため、降伏を許しませんでした。その結果、首里よりもさらに南へ日本軍は撤退するのですが、すでに南部にいたのは、避難していた民間人でした。
そして彼らはその非常に激しい戦闘に巻き込まれ、とうとう最南端の喜屋武岬に追い詰められた日本兵・沖縄兵・そして沖縄民間人は、ある人は殺されて、さらにある人は自ら、この喜屋武岬から身を投じていったそうです。
今ではこのように
平和の塔が立ち、戦争のない世の中を願っております。
さて、余談なのですが、この平和の塔のすぐ隣に、「ポール・コールマン記念」と書かれたメモリアルが植えられておりました。
が、…一体どの植物がその記念なのでしょうか。
左が今年の3月の頭に行った時の写真、右が先日行った時の写真。…刻一刻と雑草化が進み、記念が忘れられていきますね。まずいですね。
…これ、本当になんなのでしょうかね。
※と思い、調べましたら、この「ポール・コールマン」さん、
大変素晴らしい活動を行っていらっしゃる方であることが分かりました(
詳しくはこちら)。
ですが
それだけに、この放置された状態が切ないのですが…。
24.旧海軍司令壕
豊見城市の
豊見城跡公園の近くにあります旧海軍の壕、通称「
旧海軍司令壕」に行ってまいりました。
戦争の悲惨さを生々しく感じることの出来る場所です。
戦争の悲惨さについて私が感じたことなど、皆さんに本当の悲惨さを伝える上で何の参考にならないと思いますが、
本当に当時の様子を思い浮かべると、そのあまりにも痛々しい景色に心が打たれます。
この壕は、司令官・大田実中将を筆頭に、約4,000人の兵士が最後を遂げた場所です。地価に掘られた壕内は、迷路のように張り巡らされており,司令官室や作戦室、休憩所、通信室が当時のまま保存されております。
そして何と、当時迫り来る米軍の前に、観念した将が、手榴弾で自決したときの、その痕が残っているのです!
恐らく、戦時中にはこの中は血と水と膿と泥でいっぱいだったことでしょう。異臭、湿気が満ち満ちて、生きる希望と戦う意味に苦しんだ兵士たちでいっぱいだったことでしょう。
私が一番心を打たれたのが、この大田中将が本土の作戦司令に送った電文です。この電文の内容を読むと、ややもすると、沖縄を捨石にしたうえ、沖縄の民間人を虐げる一方だったイメージのある本土の人間の中にも、このように沖縄県民に感謝とお詫びの気持ちをすごく持っていた権威のある人がいたことを知り、ほんの少しでも安心できてしまいました。
この電文には、今まで慣習となっていた電文の決まり文句である、「天皇陛下万歳」という言葉は全くなかったそうです。指揮官としての作戦報告もなかったそうです。
そこにあったのは、ただただ「沖縄戦の惨状」、つまり兵士が住民を盾に戦い、自決をすら強要した様子、沖縄県民の筆舌に尽くしがたい飢え、病気、絶望の様子が書かれ、沖縄県民に対して悪いことをした、と悔いておりました。
そして最後の言葉が涙を誘います。「沖縄県民はこのように見事に、立派に戦ったのだから,後世沖縄を決しておろそかにはせず,平和になったあかつきには,沖縄県民に格別の配慮をして欲しい。」
この中に立てこもっていた兵士は何を思っていたのでしょう。そして、出撃に行った戦友が次々と帰らぬ人となっていく若者は、何を願っていたのでしょう。
一つ気になったのが、この中、写真撮影はOKだったのでしょうか…。そのようなサインも特になかったので撮っていたのですが…。ダメだったとしたら、どなたか教えていただければ幸いです。すぐに外しますので…。
25.おきなわ郷土村
みなさんは、
本部半島に行かれましたら、観光スポットはどこへ行かれますか?
今帰仁城址でしょうか、
海洋博公園でしょうか。
海洋博公園に行きましたらどこに行かれますか?
美ら海水族館でしょうか。多くの方はきっとそうだと思います。もし海洋博公園に行かれて、お時間がありましたら、是非水族館だけでなく、
「おきなわ郷土村」にも足を運ばれてください!
※
海洋博公園(正確には『国営沖縄記念公園』)は、時々
=(イコール)「美ら海水族館」の事だと思われがちですが、厳密には違います。
「海洋博公園」という大きい公園の中の施設の一つが「美ら海水族館」なのです。海洋博公園には、「美ら海水族館」のほかにも、「
海洋文化館」や「
オキちゃん劇場」、そして今回ご紹介する「
おきなわ郷土村」があります。
ややもするとおざなりにされがちなこの「おきなわ郷土村」、私は大変興味深かったです。沖縄の古くからの作りの家がどうなっているのか、
本家から
分家、そして「
ノロ(祭事を扱う巫女)」の家などが、当時を想わせる佇まい(たたずまい)で並んでおります。
実際、この「村」のコンセプトは、下記の通りです。
「
沖縄における村の生活空間の原点を表現しようとするもので、民家や広場の配列を通し空間秩序の特殊性、沖縄の人たちから生まれた「こころ」を基に沖縄の現在の村の基すがたを表現したものです。全体区域面積は、約4ヘクタールで、その中に、民家8棟、御嶽、神アサギ、水場等により構成される広場、高倉群、その他施設が配置されています。」
年代設定は、
島津に侵攻される前の1600年位以降を想定しております。
やっぱり個人的にはこの
「ニライカナイの拝所」がよかったですね。別に何があるわけでもないのですが、
小さな石段を登って、光の向こうに見える海を眺めると、本当に海の向こうには楽土があるような気がしてきます。
観光で沖縄に来られた方は、なかなか忙しいスケジュールの中で海洋博公園にいらっしゃると、水族館だけを見るケースが多いと思いますが(実際、私がこの『おきなわ郷土村』に来たときも、ガラガラでした)、是非こちらにも足を伸ばされてくださいね♪
26.恨(ハン)の碑
前から気になっていたんです。
残波岬に向かっていく道に突如現れる「
恨之碑」のガイド。
ただ事ではありません。「恨之碑」。いったい何の碑なのでしょうか。
※しかもその下のコピー、「細い道 そんなに急ぐと 危ないよ」って…。
頭の中では、「きっとその碑の前で、恨んでいる人のことを思い描けば、復讐できるのだ。きっとそうなのだ」と、
悪魔の笑みを浮かべておりました。
「…そしたら、
あの女の子と、
あの上司と、
あいつのことを
呪ってやる。クックック…」。
さて先日、時間があるときにちょうどこの前を通りかかりましたので、寄ってみることにしました。
「恨之碑」と書かれたガイドに沿っていきますと、
とある民家の前に導かれます。そのそばに車を止め、
どう見ても私有歩道にしか見えない小さな坂を上っていくと、農作業中の男の人に会いました。
「
…すいません、通り抜けていいですか?」と聞くと、
「
どうじょ。」と答えてくれました(『どうじょ』って…)。
坂を上り終えると、
少し小高い丘のような場所になっており、そこで目に入ったものは…。
…失礼いたしました。
自分をポイした女の子や、嫌な上司への恨みなんていう、そんな低次元の話では全くありませんでした。
びっくりしました。本当にびっくりしました。大きく生々しいレリーフが、岩肌に掘り込まれていたのですから。
解説させていただきますと、この「
恨之碑(ハンの碑と読みます)」は、
第二次世界大戦末期の沖縄戦に強制連行され、犠牲となった元朝鮮人軍夫たちの思いを刻んだ碑です。
この像には、
連れ去られ、引き裂かれていく家族(縛られて連行される夫)と、その足にしがみつく母、さらに銃で殴りつけようとする日本兵の姿が描かれております。
そして碑には、
「この地に果てた兄姉の魂に」と題して「日本軍の性奴隷として踏みにじられた姉たち、軍夫として犠牲になった兄たちに深く頭を垂れる やがて固く結んだ鳳仙花の種が弾け 相互の海を越えて花咲くことを信じて
兄姉よ、あなたたちの辿った苦難を語り継ぎ 地球上から戦争と軍隊を根絶することを この地に果てた兄姉の魂に 私たちは誓う」と書かれているそうです。
沖縄戦に強制連行された朝鮮人軍天は1万人〜2万人ともいわれておりますが、実際その正確な数字は
戦後60年経た今でもわかっていないとのこと。
沖縄戦では、ややもするとアメリカと日本、そしてそれに巻き込まれた沖縄県民の歴史ばかりが取り上げられますが、
もう1つのグループが、こうして歴史の中で蹂躙されていったことを気づかされました。
さて、以下はとても大事なことです。
確かに碑の名前は「恨之碑」です。したがって、
ややもすると朝鮮人たちの、日本に対する「この恨みはらさでおくべきか〜!」という思いのこもった物ととらえられがちですが、この『恨』という字について、平良さんと言う牧師さんは次のように解説なさいました。
「恨は日本語でいう『恨みつらみ、その先にある復讐』ではない。朝鮮語で言う『恨(はん)』は『恨み、つらみ、その先にある報復』が当然であるような仕打ちを受けた者が、その傷を忘れるのでも、水に流すのでも、あたかも無かったかのようにするのでもなく、逆に
心の底に深く刻みながらも、それを乗り越え、バネにして、新しい共生の道を築いていこうとする未来志向の思考を表す言葉です」
つまり、決して「いつか見てろよ…」という復讐を誓ったものではなく、『
確かにこんなことがありましたが、これからは仲良くやりましょう』という、大変ポジティブなものだとのことです。
沖縄戦のもう1つの歴史を知る上で、とても来てよかったと思いました。みなさんも、残波岬に観光で行く機会がありましたら、ぜひお寄り下さい。
27.残波岬
ダイビングで有名な
真栄田岬や、
琉球村のある読谷村の北端に、
海の眺望が素晴らしい断崖絶壁の岬があります。それが
残波岬です。
その断崖絶壁はおよそ30mもあるそうです。
ダイビングや釣りのポイントであるだけでなく、夕日が美しいことで有名です。本当に素晴らしい夕日ですよ!
さて、今回、この素晴らしい眺めを独り占めしようと、岬にあります灯台に上ってまいりました。
この灯台は、有料で登ることができます。開放されている時間は
朝の9時〜夜の5時までです。
料金は、大人が150円、小人が20円です。
…この差は一体…。
中は
大変狭く、混んでいたならすれ違うのは一仕事だったでしょう。
クルクルと廻る形で上っていきますので、人によっては気持ち悪くなってしまうかもしれません。
上ってすぐの踊り場に、
「うみまる君」なる愉快な仲間が親切に教えてくれました。
灯台の高さは31mだそうです。
さて、
上り始めたのですが、とてもとても蒸し暑い日中だったので、かなり早いうちから非常に体力が奪われ、ヒイヒイ言いながら上っておりました。そして、その上る途中で私を迎えたのは…。
「まだ、半分もいってないワン!頑張って♪」
…えー、私だけでしょうか、若干ムカついたのは。
しかもご丁寧に
「ココだよ!」のガイド付き。
しかし、この屈辱(?)を乗り越えて見たものは…。
素晴らしい絶景でした!美しい海にそびえる断崖絶壁だけでなく、
アダン群落やクサベトラ群落など沖縄らしい亜熱帯植物群落も見られます。上った甲斐はあります!!
さて、ややもするとダイビングスポット、釣り場、そして夕日絶景ポイントとしてのみに注目される残波岬ですが、決して忘れてはならない重要な場所でもあります。
1945年4月1日、沖縄攻略をめざすアメリカ軍は、この岬を目印に激しい砲撃の上、上陸したのです。しかも、本土決戦の時間稼ぎのための「持久戦」を目指していた日本軍はまったく無抵抗で、いや、それだけでなく住民を放置し、宜野湾より南部に撤退していたのでした。そうです、まさにここ残波岬は、あの悲惨極まりない沖縄戦が始まった場所なのです。
28.金城町の石畳・大アカギ
観光スポットとして有名な『
金城町の石畳』。先日行ってまいりました。
昔は金城町は
琉球王朝士族たちの城下町だったそうです。奇跡的に沖縄戦災を免れ、当時のままの町並みが残っております。
大変に趣のある町並みです。
「ちゅらさん」の古波蔵家もここにあります。私が行った日も、
テレビ局のスタッフのような人がたくさんいらっしゃいました。
さて、私がとりわけ感動したのは、その金城町の石畳の小道を抜けてちょっとした広いところにある内金城御嶽の中の大アカギです。指定天然記念物になっているそうです。
まず御嶽(ウタキ)というだけで、私の胸は高鳴るのに、こんな荘厳な木を見てしまったら、畏敬の念を抱かざるを得ません。
おまけに見て下さい、この看板。こんなこと書かれた日にゃ、もう神秘的以外の何者でもありません。
樹齢200〜300年と言われる大アカギが全部で6本生えております。調べてみますと、木の高さは10〜15m、胴回りは140cmになるものもあるとか。
実は大アカギ自体は珍しい植物ではありません。幹の色が赤っぽいことから「アカギ」と呼ばれております。しかし、この「御嶽にある」「高樹齢」「大木」「赤い」という要素の集合から、非常に非常に神秘的な雰囲気を醸し出しております。
皆さんも是非一度ごらんいただきたいのですが、その際注意を2点。
まず、金城町は観光名所としても大変名高い場所ですが、言ってしまえば「普通の住宅地」です。決して大勢で騒いだり、プライバシーを侵害する行為は控えた方がよさそうです。
次に、この大アカギ周辺の御嶽。非常に蚊が多いです。ふと片腕を見ると、一気に3匹のやぶ蚊がチューチューして、「うめーうめー」しております。虫除けがあるといいかもしれませんね。
…でも一緒にいた私の友人はほとんど刺されていなかったのですが…なぜでしょう。
蚊に関するプチ情報!
以下の人は蚊に刺されやすいと言われています。
1.
O型の人。
なんでも赤血球を覆う物質に蚊の誘引力があるとか。刺されやすい順はO→B→AB→Aらしいです。…でも私、Aなのですが。で、友達がBでしたが。
2.
酒を飲んでいる人
二酸化炭素の排出量が増えるかららしい。…もちろん私、飲んでいませんでしたが。
3.
暗い色の服を着ている人
明るい服の人よりも10倍以上刺されやすかったそうです。…私、白い服を着てましたが。友達は濃紺の服を着ておりましたが。
もちろん蚊に刺されるのは嫌ですが、「なんで俺ばっかり刺されるんだよぅ」と、蚊にでもいいからモテている自分が少し好きだったりします。
29.垣花樋川
南部のドライブコースに是非加えていただきたいスポットです。
南城市玉城にあります
垣花樋川。まずこれ、なんと読むと思われますか?「かきはなおけがわ」?これ、「
かきのはなひーじゃー」と読みます。樋川とは湧き水から引いた泉のことです。
昭和60年に日本の名水百選にも選ばれました。
ちょっと場所は分かりづらいところにあります。
まず、出ている看板にしたがって車を進めていくと分からなくなります。現に私は、看板に沿って進んでいったところ、完全に迷った路地に入り込んでしまい、親切な人に教えてもらいました。その時のその方のせりふは開口一番「ああ、みんな間違えてここに入ってくるんだよねー。」
さて、ようやくたどりついた
垣花城跡の石畳の坂道を下ると、たくさんの人が涼をとっている、
大変涼しく清らかな湧き水があふれ出ています。
目を遠くに向けると、
美しく青く輝く海も広がり、景観も同時に楽しめます。
この水は実際に飲料用として使うこともできます。私も実際に飲んでみました。味はとっても水でした。このように冷たい水ですっきりと顔を洗う人もいます。なんとも気持ちよさそうではありませんか!
都会の生活に疲れた方、懐かしい田舎の雰囲気に浸りたい方、是非是非、
この美しい泉の垣花樋川にお越しください!
30.ゴリラチョップ
やはり
究極的に感動を与えてくれるのは、
いつだって自然なのかもしれません。
「自然な優しさ」、とか「自然に生きている」なんて言葉に代表されるように、『自然』は、または『自然であること』は、いつだって気取らず、それでいて完成された感動を与えてくれるものです。
さて、沖縄でも『自然』という名の芸術家が、一つユニークな作品を提供してくれております。
本部半島を、那覇から美ら海水族館に向けて車を走らせますと、瀬底大橋の少し手前に、北部の美しいビーチで楽しめる、有名なダイビングスポットがあります。そこは、奇妙な形をした岩があることから、その岩の形で呼ばれるダイビングスポットとなっております。その名も「ゴリラチョップ」。
ご覧ください、この岩。ゴリラがチョップしている横顔に見えませんか?これを見たとき、本当に嬉しく楽しくなったものです。
この感動は、昔群馬県にある吹割の滝で見た「般若岩」の時と似ています。
http://ymsgal.fc2web.com/kanto/kanto04.html
やはり自然が「うっかり」作り出してしまう芸術には、深く感動させられるものです。
しかし、見れば見るほど、ゴリラの横顔に見えてきますね。例えば美ら海水族館に行かれる時など、少しも寄り道になることはありませんので、皆さんも是非是非、お寄りになってください!
…しかし、ゴリラチョップって。その奇岩に目を留め、かつ命名した人もユニークな方ですね。