冷静に沖縄について思うこと
〜沖縄の良いところ & 悪いところ〜
私の今の上司(福岡出身・大阪本社から出向で沖縄に来た)が、言っていました。「”憧れ”で沖縄に来たのではない方が、幸せかもしれない」。そして、私もある部分では同感です。
どういうことかと言いますと、やはりどんなに理想と思える場所でも、そしてそこに一度旅行で行って素晴らしい人と巡り合えたとしても、やはり住むと、色々と悪い部分が見えてくるということです。もちろんこのようなことは、理性的に全ての人が分かってはいることですが、実際に現実に触れたときに、憧れが強ければ強いほど、ギャップに苦しむケースが多いような気がします。海外生活に憧れて移住した日本人の中にも、それを苦しむ人がいるのと同じです。
沖縄は、間違いなく素晴らしいところです。きれいな海、空、空気、温かく懐っこい人…。しかし、やはり首をかしげてしまう部分を目にすることが多々あります。
私は幸い(?)、”憧れ”で移住したのはない人間ですので、ある意味冷静に、見ることができている気がします。
このページでは、そんな私の、沖縄を冷静に考えたネタを見て、知っていただければと思っています。
もちろん、どんなギャップをもものともしない強い強い”超憧れ”をもっている人もいますのでね!海外生活を最初から完全に楽しめる人がいるのと、これもまた同じ。
21.自転車に乗らない
沖縄は徹底した車社会で、多くの人は歩くことをしないということを別のところで書かせていただきました。それに伴って、沖縄の人は自転車にも乗りません。理由を聞くと「暑いから」だそうです。
ある主婦は、本土での移動手段はもっぱら徒歩と自転車だったので、沖縄に移住したときも自転車を持ってきたそうです。近所に買い物に行く時、子供さんを補助椅子に座らせてキーコキーコとこいでいると、どうも車や歩行者からの視線が気になったのだそうです。あるとき、スーパーで子供の友達の親と会ったのですが、その時に、「(補助椅子を指して)それ何?椅子?すごーい!」と感激されてしまったと言っていました。
実際、自転車屋さんもあるのですが、本土に比べて、いわゆるママチャリの品数が少ない気がします。あるのは、スポーティーな趣味としての自転車や、お洒落な折りたたみ自転車、そして子供用などが多い。
学生も自転車に乗りません。本土では、駅までの道のりを、学生やサラリーマン、OLなどが自転車を走らせている絵が、今となっては一つの思い出です。駅前の放置自転車などという社会問題も、沖縄では無縁です。
私も移住してすぐは、「あ、このくらいの街の大きさだったら、自転車を買ったほうがフットワークはよさそうだな」と思って、自転車購入計画を練っていたのですが、本当に誰も乗っていないので、そのうちその熱も醒めてしまったものです。
でも運動にもいいですし、排気ガスはないですし、最近では折りたたみのオシャレな電動自転車もあるようですので、沖縄の方、自転車ライフを見直して見られるのはいかがですか?
ところが、自転車に乗らない文化のわりに、自転車盗難の話を何度か聞いたことがあるのですが、それはどういう…。
22.清明祭(シーミー)
文化風習の全く違うところに移り住みますと、
興味深い事に遭遇することが多々あります。
それが、
全くの傍観者としてのポジションでしたら、「
へぇ、面白いなぁ」で済むのですが、その
文化風習に関わらなければならなくなりますと、単純な興味本位では済まされなくなってきます。例えば
地域行事にも参加しなければならなくなるでしょうし、
結婚などが絡みますと家族ぐるみでの行事なども出てくるでしょう。
家族ぐるみでの行事、と触れましたが、ここ
沖縄では大変に一族の横のつながりが強いものですから、本土、それも
都会のドライな人間関係を経験してきた人たちにすれば、驚くような話もあるのかもしれません。
その一つが、
「シーミー」という行事です。
漢字で書くと「清明」と書きます。これも、私はまだ体験したことがありませんので、
聞いた話の羅列になってしまうのですが。
まず、
清明(シーミー)とは、
厳密には二十四節気の一つ、つまりある期間のことを指します。ちなみに二十四節気とは、
1年を24個に分けてそれぞれの期間に名前をつけたものです。
冬至→大雪→小雪→立冬→霜降→寒露→秋分→白露→処暑→立秋→大暑→小暑→
夏至→芒種→小満→立夏→穀雨→清明→春分→啓蟄→雨水→立春→大寒→小寒。
さて、
清明見つけられました?旧暦で換算しますので、今の暦にすると、
毎年若干の前後のずれはあるのですが、
大体4月5日頃から15日間(360÷24)が、この
清明にあたります。
さて、肝心の「ではシーミーとはどんな行事なのか」という点です。
一言で言ってしまえば「親戚一同お墓の前でピクニック♪楽しいな♪」です。…失礼、最後の『…楽しいな♪』に関しては、沖縄の方がどういうモチベーションで行くのか知りませんので、忘れてくださって結構ですが(ピクニックと言う響きが楽しそうだったもので…)。
でも沖縄の人に「シーミーって何?」と聞くと、大抵は「お墓の前でピクニックだと思えば間違いない」と答えてくれますよ。
男系血族集団の本家・分家が一堂に会して、まずお墓の掃除(でかいんです!)をして、その後お酒や重箱を供えて供養をした後、そのお墓の前でその備えていた重箱を開けてみんなで食事をします。
このシーミーは日頃なかなか顔を合わせる機会のない親戚と親交を深める機会なので、久しぶりにあう親戚(子供にとっては従兄弟とか)に会うためのいい行事なのかもしれません。
でも、本来ならなんとなく陰気臭いイメージの付きまとうお墓も、このように一族が集まってワイワイやるとなると、明るい感じがしていいですよね。一族のつながりも強まりそうですし。
さて、少し話はそれるのですが、最初に触れた「一族のつながりが大変強い」と言う点ですが、この『つながりの強さ』が関係して、沖縄では「長男の家には絶対嫁ぐな!」と言われているそうです(もちろん家によるのでしょうが)。基本的には日本中で同じですが、長男が仏壇を守るため、法事があるとまず長男。…といっても、男は居間で酒飲んで女が働く社会だそうで、そうなると実は一番大変なのは長男の嫁、だそうです。
ここら辺も、またもう少し調べて見たいなと思っています。
沖縄は本当に先祖崇拝に端を発した横のつながりが強そうです。
ある本土の人が沖縄の人と結婚し、20数年経ったあるとき、やはり法事関係で家族会議になったそうです。その時にその人が何か意見を言ったそうなのですが、その時、一家の偉い人から「あんたはナイチャーだから分からないんだ」というようなことを言われてショックを受けたとか。「もう結婚して移り住んで20年以上も経つのに!」と。
でも私自身はこれは仕方のないことだと思っています。別にどちらのせいでもないのでしょう。
ちょっと脱線してしまいました。このテーマはまた別のところで触れたいと思います。いずれにしても、沖縄では、4月の頭ごろ、沖縄各地のお墓の前で、家族そろってのピクニックが見受けられますよ。それを一般にはシーミーと呼ぶのです。
23.沖縄の宗教観 その1
沖縄の宗教は、そもそも起源をたどれば
仏教でも神道でもありません。もともと
祖先崇拝こそがすべての宗教観だったようです。そのため、日本に併合されて久しい今日でも、いろいろなところで、
独自の宗教観に根付いた文化が見受けられます。そしてそのすべては、
結局「先祖崇拝」に根幹を成すものなのです。
今回、ある学者さんが書いた、沖縄の宗教観の本を読む機会を得、大変興味深い意見を知ることができましたので、ご紹介できればと思っています。
何回かに分けたシリーズ物になる予定です。興味のある方はお付き合いくださればと思います。
まず、別のところで触れた「まぶやぁ」という言葉、ここから話させていただければと思います。実はこの言葉こそが、沖縄の宗教観、祖先崇拝の根幹を成す考えのようです。
「マブイ(まぶやぁ)」という琉球語を、半ば強引に日本語に置き換えますと「霊」とか「霊魂」になります。そしてこのマブヤには、言い伝えを整理すると次の5つの基本的な性質があるそうです。
1.人間は「身体」とマブイの両方からなっている。どちらも欠くことはできない。
2.マブイは人間の身体から幽体離脱することができる。
3.マブイは不滅である。
4.マブイが身体から抜けると、身体は不調になる。
5.病気を治すには、マブイを身体に戻さなければならない。
なるほど、だから#4と#5の理由から、あの「まぶやぁ まぶやぁ」の呪文が産まれたのですね。
さて、マブイと一口に言っても、実はマブイには2種類存在するそうです。それが『イチマブイ(生霊)』と『シニマブイ(死霊)』です。
そしてこの学者の先生は、多くの調査・研究を経てこのマブイの概念を、近代科学で伝わる概念に置き換えました。
すなわち「マブイ=精神・心」だそうです。
そしてそのマブイは前述のとおり2通りあるのですが、その定義を『イチマブイ(生霊)=意識』、『シニマブイ(死霊)=無意識』としました。
これは決して沖縄だけでなく、世界中の現代心理学でも通説ですが、この「無意識」の状態が人間に及ぼす影響は非常に大きいものがあります。「無意識」の世界は、「意識」の世界の十万倍も広い世界です(例として、このサイトを読んでいらっしゃる方、意識しているのはこの『読む』ということだけですよね。それに対してきっと皆さんは、無意識のうちに、まばたきをして、鼻をかいて、足を組みなおして、周りの音を整理して…とやっていらっしゃるはずです)。
そして「この『マブイ(無意識)』は、実は祖先に形作られたものなのだ」という概念こそが、沖縄の宗教観の基本をなすものだとこの先生はおっしゃっていました。
なにやら退屈な話になってしまったでしょうか。ですが実は興味深い話へと続いていきます。次回は「ある奥さんが、この概念を理解したがために、夫の浮気癖を治した」という話です。
今回の「マブイ」の概念とどのような関係があるのでしょうか。そして、あの『ユタ』はいつでてくるのでしょうか!!お楽しみに!
…浮気癖が治ったって、本当かなぁ…。
24.沖縄の宗教観 その2
さて、前項の通り、ある学者は、
沖縄の『マブイ(霊魂・魂)』という概念を、
心理学で言うところの「意識(イチマブイ)」と「無意識(シニマブイ)」の二つに分けられるとしている事に触れました。
そして、この学者は「
シニマブイは祖先に形作られたもの」という、
祖先崇拝の根幹を成す学説を提唱しました。これは言い換えると、
「自分は自分であって自分でない」という概念のようです。
これを理解することが、沖縄における祖先崇拝を知ることの基本とのことです。
さて、では
なぜ「シニマブイは祖先に形作られたもの」と言えるのでしょうか。前項の通り、私たちは
「無意識に」多くの事をやっております。それは例えば『まばたき』や『あくび』のような生理現象的、本能的なこともあれば、
運転に熟練した人であれば、半ば無意識のうちにハンドルを握っている、というような
後天的な無意識もあるでしょう。
そして
多くの人が無意識に行っている生活習慣や、ものの考え方、くせの多くは、両親の教育やしつけ、さらには言動で形作られた、というのです(何せ20年近くも一緒に暮らすわけですから!)。それゆえ、
人の無意識の部分の多くは、親に形作られたと言っても過言ではないというのです。では、その人の親は?そのまた親は?と見ていくと、
今形作られ、生きている自分は、祖先に大きく影響されている、というのがこの学者の考え方なのです。
そういった意味で、「シニマブイは祖先に形作られたもの」であり、「自分は自分であって自分でない」という考えのようです。
さて、そこで「夫の浮気癖を直した奥さんの話」です。
この奥さんは、突然の夫の変わりよう(急な浮気)にビックリしてしまいました。当然逆上して問い詰めたいところだったのですが、幸い(?)この奥さんの実家が、祖先の霊の話に詳しい家だったので、両親に相談をしたそうです。
すると、この両親(主に母親なのでしょう)は、「夫のそのような行動は『継降り(ちぢうり)』から来るものである」とアドバイスしました。つまり、夫の急な浮気癖は、祖先の霊の影響であると言ったのです。要するに、「夫の行動は夫のマブイ(厳密にはシニマブイ、無意識)が、先祖代々から受け継がれた何者かによって動かされ、その霊が成仏できずにさまよっているから起きるのだ」ということのようです。これを、『先祖の霊が苦揺(くよう)している』という状態と呼びます。
その場合、先祖の苦揺解き(くようとき)が必要となります。つまり先祖の霊を供養するのです。
…苦揺しているから供養する。そりゃ苦労するな…。 …プッ。
…オホン、話を戻しますが、つまりこの夫の浮気行動は、先祖の霊を供養すれば直ると結論付けた奥さんは、決して夫に対して激昂したり問い詰めたりせず、ただただひたすら、夫の親の位牌のもとへ行き(要するに夫の実家)、先祖に「夫の行動を正しくお導き下さい」と祈ったそうです。
すると!先祖の苦揺は供養され、夫の態度は少しずつ申し訳ない態度に変わり、以後夫の行動は落ちついたものとなったとの話です。そう、「夫は夫であって夫でない」と言うことを正しく理解したので、夫のマブイが正しい方向へ導かれたのでした!!
…途中からよく分からなかった方もいらっしゃるかもしれません。私も正直言いまして、途中まで(「無意識の多くは先祖に形作られている」と言うことが出来る)くらいまでは分かったのですが。そこから先は「…ああ、なるほど…?」という感じもありました。
これは私の読書力と、そして説明が下手なのに他ならないのだと思いますが。
いずれにしても、この「人を動かしているモノは、その人の精神であり、その精神は祖先から代々受け継がれてきたもの。ゆえに、病や不調は、体であれ心であれ、祖先の霊を供養すれば直る」というのが、沖縄に伝わる宗教観なのかもしれません。
さて、そろそろユタ様に登場いただきましょう!
25.ヘア・ケア
ちょっと
スピリチュアルな話から休みを取りまして、
沖縄での美容に関係した話を一つさせていただきます。
沖縄は
4月くらいから11月くらいまでが夏と言っても過言ではないくらい、温暖です。
と言うよりも、亜熱帯です。そう考えると、事実上
1年の4分の3が夏みたいなものですね。
さて、よく
本土から沖縄に移住してきた女性の中で、「
こっちに来てから髪の毛が少し乾燥してゴワつくようになった気がする」という方がいらっしゃるそうです。または「
髪のまとまりが悪くなった気がする」というような。
実はこれ、
科学的に説明できるそうです。沖縄に来てから髪が乾燥するようになった原因として、次の3つが挙げられることを知りました。
1.潮風
もちろん沖縄の魅力でもあるこの潮風、実は髪を含め、多くのモノにダメージを与えております。本土から車や自転車を持ってきた人も、「すぐに錆びた!!」とビックリする方もいますし、私自身も、ベランダに出していた金具の付いたものが錆びてしまったことに驚きました。
そして、この潮風は髪の毛をも傷めます。
2.水
別のところで触れましたが、沖縄の水は本土に比べて硬質、カルシウム等が多く含まれているそうです。快便効果やデトックスなどの効果も期待できるらしく、ややもすると「いいこと」と捕らえられがちですが、実際、このカルシウムが髪の毛に付着しますと、髪の毛がパサつく一つの大きな要因となるそうです。
確かに、ヨーロッパ等、日本よりも硬水の地域に旅行に行くと、「髪がまとまらない」話、よく聞きますよね。
3.紫外線
そして、最初に少し触れた夏の紫外線です。沖縄の長い暑い夏の間に、強烈な紫外線は髪の毛を殴りつけんばかりに襲い掛かってきます。この紫外線の攻撃にさらされた髪は、髪の毛表面のキューティクルがどんどん剥がれ落ちていき、内部の潤いを留めておくことができずに、傷んでいくのだそうです。
上記3点に加え、例えばダイビングをやる人などは、やはり海水でもダメージを受けるでしょうし、沖縄に来て酒の付き合いが増えたとか、夜型の生活になったとかも、もちろんダメージの要因になるでしょう。
そのような現状を受けて、美容師さんも、「沖縄では、潮(塩)はすぐに洗い流して、トリートメントをしっかりやるように」勧めているそうです。
海水に良いこんなシャンプーとトリートメントもあるようですので。髪の毛、お大事に。
26.絵が上手い?
私の記事は、
本当に主観だらけの内容であることはよく分かっておりますが、
あくまでも「私の感じたリアル」をコンセプトにやらせていただいておりますので、そこは了解して皆さんに読んでいただいております。
さて、今回もそんな「主観」から始まった話なのですが、私の周りの沖縄の友達、とても絵が上手い人が多い気がします。本当に何の統計上の根拠も何もない話なので恐縮なのですが、どうもそんな気がします。
本当に上手いんですよ。何気なく描く絵がとても上手い。私が下手なせいもあるのですが、いつもとても感心させられています。沖縄では、幼いころから絵を描く土壌があるのでしょうか…。
さて、そんな私の主観的な感想を裏付けるかのようなニュースが、最近飛び込んできました。
皆さんもご存知かもしれませんが、高校生の漫画日本一を決める「第15回全国高等学校漫画選手権大会」、通称『まんが甲子園』の決勝戦が2006年8月6日に高知市で行われ、なんと最優秀賞と2位を沖縄県勢が総なめにしたのです。那覇工業高が最優秀賞、沖縄県の開邦(かいほう)高校が2位でした。
素晴らしいですね!全国の高校の中で、1位と2位が沖縄県勢だったとは!
もちろん漫画の面白さとは、絵の上手さだけでは決してありませんから、発想力、独創性等を争わせても、沖縄県勢、今年はとても頑張ったことが分かります。心から祝福を。
ちなみに決勝戦のテーマは「秋葉原」だったそうです。…主催者も何を考えてるんだか…。そしてそのテーマについて、那覇工は『進化していく人類が最後には「オタク」になる』漫画を表現したそうです。そして2位の開邦高校は「オタク」のフリーターが、職業をあっせんするメード喫茶風の会場に入っていく姿を表現したとか(妙に現実的ですね)。
…気のせいなのかもしれませんが、沖縄の人、絵が上手い人が多いと思うのです。
27.沖縄の宗教観 その3
さて、
ユタ様の登場です。
※以前、
掲示板でも書かせていただきました下記の点を、皆様ご留意してくだされば幸いです。
「私のサイトでたしかに「ユタ様」とタイトルをつけさせていただきましたが、
沖縄の方でユタに「様」をつけている人はあまり聞いたことがありません(笑)。私が個人的につけているだけです。
では何故私は「様」をつけるのか、気になった方がいたらすみません。
理由は、『風の谷のナウシカ』にでてきた「ユパ様」の名残です(笑)。」
別のところでも触れましたが、ユタ様の多くは、別になりたくてなったのではないようです。いわゆる神がかり的な時期(多くは苦しむ)を経て、そして修行をし、その結果神様から「よし、オマエ、ユタとしてデビューさせてやろう」という免許皆伝をもらい、ユタ様になります。
そしてこのユタ様は、沖縄社会においてどのような役割を持っているかと言いますと、調査によれば、「人々が感じる心の病や不幸の原因が何かを突き止めて教えてくれる。または家出や蒸発してしまった人の所在を教えてくれる」そうです。
つまり、
客「…最近、仕事も恋愛も上手くいかなくて…」
ユタ様「それはご先祖の…が〇〇と言っている。これこれこうしなさい」
という風に、今後の指針を示してくれたりするそうです。またユタ様によっては結婚のアドバイスや、前項の通り、夫の浮気相談なんかにも乗るとか。
もちろん、こういう科学の時代ですから、人や家庭によってはこの「ユタ信仰」が薄れ、全く縁のない人もたくさんいますが、基本的にはいまだ根強くユタ信仰は残っており、祭事や、豊穣の祈り、航海安全などの祈願を、高額のお金を出してお願いする人たちもたくさんいるそうです。
さて、以前少し触れましたが、このようにユタ様に見てもらう、占ってもらうことを「ユタ買い」と言うそうですが、もう一つ、似た意味で「ユタ道楽」という言葉もあるそうです。
これは何かと言いますと、「何かあるとすぐにユタ様ユタ様!」という人のことです。つまり、ユタ様に、自分の納得する答えを言ってもらわないと安心できない人、いうなれば「ユタ中毒」の人のことです。
あるユタ様に見てもらったが、それは自分の望む答えでなかった、では次は別のユタ様へ、と言う風に、自分の聞きたい答えを求めて、ユタ様のはしごをしてしまう人です。そう、これらの人は、自分ですでに答えを持っているのです。それをユタ様の口から聞きたいがために、ユタ様のもとへ通うのです。
こうなりますと、経済的にも精神的にも、ユタ様に依存しきってしまいます。このような弊害も報告されております。
いずれにしても、ユタ様文化、沖縄には深く根付いております。
28.毛遊び
すごい名前じゃございませんか、
毛遊び。
ではありますが、毛遊びについて知らない方のために、まず
誤解しがちな点を改めさせていただきます。
1.読み方
「けあそび」と読まないで下さい。「
もあしび」または「
もぅあしび」と読んでください。
2.意味
別に毛で遊ぶわけではありません(そこの貴方、何を考えてました?)。
『もぅ』とは野原のことです。
別の項で触れましたが、沖縄(琉球)では、
もともとの発音に強引に
漢字を当てた為、漢字の意味はあまり考えなくてけっこうです。
単純に野原で遊ぶことだと思ってください。
さて、誤解が解けたところで、毛遊びとは何かをご説明します。と言っても、私も本で読んだだけなので、中途半端な知識なのですが。
毛遊びとは、沖縄の農村、または漁村で昭和初期ごろまで行われていた若い男女の夜間野外での遊びのことだそうです。若い男女が村の広場で丸くなって歌ったり踊ったりしたそうです。参加できる年齢も大体決まっており、男は17〜25歳くらい、女は15〜22歳で、ほぼ一人前とみなされる人たちが参加できました。
時刻は、夜間仕事を終えた夜の10時ごろから、月が山の背に隠れかけるころまで。なんとロマンチックな終了時刻!
人数はだいたい10人前後のグループで行うのがふつうだったそうですが、時々部落対部落の大規模なパーティーも行われたそうです。遊びの内容は、男女の歌の掛合い、三味線に合わせての踊りだとか。
そして当然恋の芽生える場だったそうです。
…つまり合コンですね。
いやぁ…楽しそうだなぁ…。
てことは、お気に入りの子が用を足しにに立つと、一緒に席を立つ奴とかいたはずですよ。
女の子、何人かで席を立って、男の子の聞こえないところで、「…今日は外れじゃない?」「うそ、私あの子いいと思うけど?」とか話してたはずですよ。
歌の掛け合いのうまいあの男の子、モテたはずですよ。
気づいたらいなくなっている男A君と、女Bちゃんが必ずいたはずですよ。
ところが、この楽しい楽しいイベントも、明治後半から昭和初期にかけて風紀上よくないという理由から、警察や教育界から厳しく規制され、なくなったそうです。
おそらく似たような話は日本全国、世界各国にあるのでしょうが、ここ沖縄でももれなく男女の遊びは決まっておりました。
古今東西、男女の恋遊びは変わらないものですね。
余談ですが、私の好きなアーティスト「琉球アンダーグラウンド」が『毛遊び』というタイトルの曲を作っていました。とてもいい曲ですよ♪
29.チャンプルー文化
皆さんもご存知かもしれませんが、沖縄には、「
チャンプルー料理」というものがあります。「ゴーヤーチャンプルー」「豆腐チャンプルー」などです。ではチャンプルーとは何かと言いますと、
沖縄の方言で『ごちゃ混ぜ』という意味だそうです。別の言い方をしますと「
炒め物料理」と考えていただいて間違いはなさそうです。
※面白い話を聞きました。
この「チャンプルー」という言葉は、厳密には沖縄の方言ではなく、同じ「混ぜる」という意味で
インドネシア語、またはマレー語なんだそうです(さらに厳密に言えば、インドネシア語はマレ
ー語から来ているそうです)。
もうひとつ余談ですが、琉球民謡の音階は、大和民謡の音階(ドミファソシド)と違い、ドミファソシド
のミとシが♭(フラット)になるそうです。そしてこれは、インドネシアのバリ島や、ベトナム、
ビルマ、インドなどの音階と同じ仕組みだそうです。
以上2点、こばさん、情報提供ありがとうございました!
さて、そう考えますと、もちろん沖縄は日本であり、日本文化を持っておりますが、別のところで触れているように、いろいろなところでアメリカナイズされており、さらには上述の通り、東南アジアナイズもされているのですね。
そう、このように、様々な文化を融合して、独自の色を作り出すのが、沖縄文化といえるのかもしれません。そして、これを時に「チャンプルー(ごちゃ混ぜ)文化」と呼びます(私の造語ではありませんよ)。
さて、このチャンプルーぶり、確かに色々なところで見受けられます。それを具体的に感じた事例を2つほど紹介させていただきます。
まず前提としてですが、このチャンプルーぶり、あくまでも私個人の考えですが、いい点と、そして「もったいないなぁ」と思ってしまう点がありそうです。
1.昨年、とある大きな沖縄系イベントを見てきました。沖縄の文化芸能の壮大な出し物のような感じです。旗頭・エイサー・琉球空手・琉球舞踊等…。みんな日頃の練習の成果を存分に発揮して、それは見事な、感動する芸を披露してくれました。
ところが1つ驚いた点がありました(おそらく私だけなのかもしれませんが)。エイサー(エイサーが何かは、また別の時にご紹介できればと思います)の時に流れていた音楽が思いっきりJ-POPだったのです。誰もが知っている、有名なJ-POPだったので、とってもキャッチーな雰囲気で、楽しかったのですが、…なんていうんでしょうか、せっかくの民族芸能なのだから、コッテコテの琉球音楽を使えばいいのになぁ、と少しだけ寂しく思ってしまったのでした。
2.別のときに、首里で行われた祭りがありました。やはり旗頭があったり、民族舞踊があったりする、とても伝統的なお祭りだそうです。
民族衣装を着た、凛とした若者がさっそうと勇ましく練り歩き、踊り、太鼓の音が響き、それはそれは見ていて気持ちのいい格好のいいお祭りでした。
そのお祭りのフィナーレを飾るのが龍潭池(りゅうたんいけ)の花火なのですが、それが上がるときに流れていた音楽に、またもびっくりしてしまいました。それはなんと、5年ほど前に渋谷ギャルにとても愛されていた「サイバートランス」だったのです…。変な意味で「…うわぁ、懐かしいなぁ」と思ってしまいました。
…なんていうのでしょうか、うまく表現できないのですが、沖縄の方、みんな自分たちの文化にとても誇りを持っていながらも、楽しい雰囲気になるのであれば、全然遠慮なく、非伝統的な、外来物をヒョイヒョイと取り入れることに、少しも抵抗がないのかもしれません。ねぶた祭り、三社祭など、いまだに昔の上下関係や儀式を引き継いでいこうとする本土の気質に対して、「これ今流行っているからこれも混ぜちゃおう!」というような精神があるのかもしれません。
よく言えば、柔軟。積極的。開放的。
悪く言えば…適当。こだわりが低い。
決して「伝統芸能」は閉鎖的でならなければならないとは思いません。新しい風が必要な部分もあると思います。しかし、「もっと徹底してもいいのでは…?」と思ってしまうことがあるのも、私の中では事実だったりします。
すいません、そんなに細かい人間でもないのですが、わりと文化的なことや民族的なことには保守的な思想なものですから…。
というわけでこれが、「いいものは取り入れちゃおう!混ぜちゃえ混ぜちゃえ!」という沖縄のチャンプルー文化の一つの側面でした。
30.沖縄移住者について現地の人が思うこと
先日、掲示板に書き込みをしてくださった『
うなみ』さんの書き込みで、「
なんだか歓迎されていないみたい…旅行で来るのがいいのかも」というような内容がありました。『うなみ』さんは
石垣島に行ったとの事でしたので、ちょうどその書き込みを見たとき、
すぐ近くに石垣島出身の友人がいましたので、そのことについて聞きました。
つまり「
この昨今の移住ブームを、石垣島の人はどう思っているのか」と。
彼は、
石垣島の市長をやっている親戚の方がおり、ちょうどそのことが、先日帰郷した時に話に上ったそうです。
大変興味深く、そして心に響く話を聞くことが出来ました。
まず、彼曰く、石垣島の方々のある人は、「昔はそうでもなかったけど、最近は…あんまり(移住ブームを)良く思っていない人が多いみたいよ…」だそうです(あくまでも『ある人』です)。
彼は続けて理由を幾つか列挙してくれました。
1.移住者のある人たちは、住民票を本土から石垣島に移していないそうです。そうなるとどうなるか。税金(市・都民税または県民税)を石垣島ではなく、自分の出身地に払うことになります。すると、それらの人たちは、石垣島で様々な公共のサービスを受けながら、一切石垣島の税収には貢献しないことになります。…これでは確かに良く思われないのもうなずけるかもしれませんね。
2. 移住者の中には、移住後に商売を始める方がいらっしゃいます。そしてそれらの方の中のごく一部ではあるそうですが、ビジネスの価値観を押し付ける人たちがいるそうです。
それまで、石垣の人たちは狭いコミュニティーの中で、彼らなりの商売をやってきました。それはややもすると「てーげー(適当)」なものだったかもしれません。それでも、たまにトラブルはあったでしょうが、横のつながりの中でずっとやってくることが出来ました。そんな中に、都会でもまれてきたビジネスの価値観、契約の遵守などを、あたかも「これがスタンダードだ」と言わんばかりに、押し付けてくる人がいるそうです。確かに、これは面白くない話だと思います。
3.移住者が増えてくると、もともとそんなにキャパシティーの大きくない島ですから、マンション等を立てる必要が出てきます。ところが、そのマンションや家を、古くからの部落(沖縄では『部落』という言葉に差別的な意味はありません)にいきなり建てたりすることもあるそうです。そうなると、もともと自分たちが生まれ育った環境が壊され、外からの人たちが増えてくることに、嫌悪感や恐怖を覚えることもあるとのことです。
4. 移住者の中には、お金持ちの方もいらっしゃいます。人によってはリタイア後の移住先に、離島を選ぶ方もいらっしゃいますし、場所を問わないビジネスを行っている方が、拠点として離島を選ぶこともあるそうです。
するとそのお金を持った移住者は、当然「いいところ」に「大きい」家を建てます。海が一望できる豪邸を建てたりするそうです。その友人いわくは、「ひがみもあるんだよ」とのことですが、今まで一生懸命少ない所得で頑張ってきた現地の人の中には、感じが悪いこととして受け取る方もいるようです。中には「我々の島が占領されている」と感じる人もいるとのこと。
私たち本土からの移住者は、よくこのことを考える必要があると思います。もちろん「住むところの自由」は憲法で認められていますし、移住後、地域に溶け込んで、そして貢献している方もたくさんたくさんいらっしゃいます。
また、色々なところで引き合いに出して申し訳ありませんが、私の出身の東京など、日本中、いや世界中から色々な人が集まり、住民票を移さない、各地域の価値観を持ってくる、実際に悪いことをする、そのような人たちが、申し訳ありませんが沖縄の比ではないくらい集まってくる場所です。はっきり言って、産まれついての東京都民は全体の何%なのでしょうね。ほとんどが言わば「よそ者」です。
ですが確かに、その島の持つ地理的、経済的、そして精神的なキャパシティーを考えると、決して過小評価してはならない問題かもしれません。石垣島はもちろん、沖縄本島ですらもともと小さな島です。そして戦争で負った傷もあります。本土への被害意識があります。
そんな中へ、海がきれいだから、温暖だからという理由で、大量の『よそ者』が一気に流入したら、現地の方が戸惑うのも無理はありません。ましてそんな中に、自分たちの価値観を押し付けようとすることは、ソフト・コロナイズ(静かな植民地化)と言えるかもしれません。
これは考えれば考えるほど難しい問題ですね。
(私が言うのも偉そうですが)住むのはもちろん自由なはずです。
自分が今まで培ってきた価値観に基づいた、自分の意見を言うのも、言い方によりますが自由でしょう。
商売をやるのも自由ですし、内容によってはウェルカムなはずです。
沖縄に新しい風を持ち込んだほうがいいことがあるのも、また事実でしょう。
ただし…、ただし…、うーん、難しい問題ですね。
沖縄で生まれ育った沖縄の方、すでに移住をされた本土出身の方、これから移住しようとされている方、みなさんはどう考えられますか?